高く、ぶつかりあう

以前、人材育成をテーマに幼稚園の園長先生方を対象とした講演をした際、部下を叱る場合に話が及んだ。

 

 

叱るということは相手を否定することである一方、相手にとって成長の機会にもなりうる。成長を促すには相手を肯定する必要がある。つまり「肯定的に否定する」ことで、叱られた人間は成長を遂げる。そんな話をさせて頂いた。

 

 

講演が終わった後、年配の園長先生が私の方に歩み寄り、こうおっしゃった。

 

 

「部下を叱る時はどうしても相手の言動を否定することに気持ちが向いてしまいます。しかし、『肯定的に』否定するという視点があれば、部下も叱られたことを成長の材料とするはずです。ためになりました。ありがとうございました」

 

 

異質なもの同士、相反するもの同士がぶつかる時、それまでになった新しいものが生まれることが多い。これは人間の成長も例外ではない。成長とは、それまでの自分を否定して一段上のステージに上ることだが、上のステージに上るためには今のステージにいる自分を「否定」しなければならない。同時に、今の自分を「肯定」することで、上のステージに上ることができる。

 

 

たとえば、私が小学生の子どもを教える時は、自由に振る舞う子どもには制約を与え、制約に縛られている子どもには自由に振る舞うようにさせている。自由と制約という相反するものをバランスよく扱えるようになると、子どもの成長は加速する。

 

 

実は、偏っている人間が成長しにくい理由もここにある。相反するものの片方だけに寄りかかっている人間は、高いステージには行けない。この両方を持ち合わせることが世界の広さを表しているからだ。

 

 

冒頭の園長先生にとって、「肯定的否定」は異質なものだったのだろう。しかし、それを取り込むことで、部下の指導において更に円熟を増していくとすれば、私にとってそれは得難い喜びである。

 

 

(了)