見える者だけが見ている世界

「成長」の難しさをつくづく感じる。

 

 

教育フィールドで数多くの「成長」を見てきた。成長したいという意志があれば、人は成長する。意志あるところに成長がある。しかし、意志が生むのは穏やかで「最低限」の成長だ。

 

 

一日ひとつ、壁の高さが上がる。昨日は100だった壁の高さが、今日は101になり、10年後には3752になるとも言える。毎日、最低ひとつずつ成長していかなければ、いずれ何の変哲もないある日、突然壁につまずくことになる。それを理解して、回避しようとするのが「意志」だ。

 

 

しかし、それはあくまで最低限の成長。現在の自分が滞在するステージでのつまずきを避けるものに過ぎない。ひとつ上のステージに上るためには、単に成長したいという意志だけでは足りない。「自分を変える」という強い決意がいる。

 

 

決意とは覚悟でもある。覚悟があるから自分を変えることができる。自分を変えることができる人の割合は、皆が予想するよりずっと少ない。

 

 

自分を変えるには、自分の世界を変えなくてはならない。その世界は「自分が思い込んだもの」によって作られている。自分の中にルールとしてあった思い込み。それを破壊して、新しい世界を構築することでもある。

 

 

それは自分が積み重ねてきた価値観を自分の手で転覆させるということでもある。これ以上の勇気はないだろう。人は、他人を変えようとはしても、自分を変えようとはしない。いろいろな理屈をつけて、結局は自分を変えない。だからそれまでの自分を失う覚悟が必要なのだ。

 

 

これを成し遂げた者だけに、本当の成長が約束されている。その褒美として、新しい世界の景色に目を見張ることができる。この世界には「見える者だけが見ている世界」がある。

 

 

その世界を見ようとするのも見ようとしないのも自由だが、そういう世界があることは知っておく必要があるだろう。

 

 

(了)