ぶれない心

「ぶれない」と評される人がいる。 

 

 

「ぶれない」とは「自分を持っている」と言い換えてもいい。周囲に流されず、自分の意志を貫く。強い心を抱き、安定感と安心感を放つような人を指す。

 

 

それでは「頑として自分を曲げない」ことは「ぶれない」ことだろうか。「自分を変えない」ことも「ぶれない」ことだろうか。

 

 

「ぶれない」ためには「しなやか」でなくてはならない。しなやかな木の枝は、硬直した枝と違って強風でも折れることはない。

 

 

動いても形を変えてもいい。軸が動かなければ、ぶれてはいない。自分のやり方や考え方に固執して、状況という「強風」で折れてしまえば、本末転倒になる。

 

 

「軸」がぶれない。

 

 

地球儀を想像して頂きたい。人はそれぞれ自分の「地球儀」を持っている。その「地球儀」とは各自の世界観や人生観のことだ。器や見識と言ってもいい。その地球儀の大きさは、その人自身の器の大きさでもある。

 

 

地球儀には「軸」がある。それがぶれなければ、地球儀は回り続ける。「自分」がその地球儀のどこにいようとも、「軸」がぶれなければ、地球儀という世界観も人生観もぶれることはない。

 

 

学びや経験や思考によって、地球儀という器や見識は膨らむ。その地球儀大きければ大きいほど、「自分」がいる場所を自由に選ぶことができる。「自分」の場所を状況に応じて変えたからといって、ぶれたことにならない。

 

 

逆に、軸がぶれた小さな地球儀の中で、頑として「自分」の場所を変えない人もいる。それが「ぶれない」ことだと頑に信じている。軸を失った地球儀は、その中の「自分」を常に不安定にさせることに気づいていない。「自分」が今の場所にしがみついても、しがみついているものが安定しなければ、決して「自分」は安定しない。

 

 

本当の意味で仕事ができる人間、勉強ができる人間は、状況に応じてやり方やプロセスを変える。自分が守り続けてきた方法も、今の自分にとってそぐわないと思えば、あっさりと捨て去ることができる。

 

 

ぶれない自分を守るために、今の場所から動くことをためらわない。その潔さに、その人間の器の大きさを見る。

 

 

(了)