人間力とは「縁」を説明する力をいう

ここ数年のSNSの進歩は目覚ましい。これは人間にとってコミュニケーションがいかに重要かを物語っている。

 

 

「友だち」の広がり方も加速度的だ。かつての何倍ものスピードで「友だち」を増やすことが可能になった。人間関係の革命的な進歩と言えるだろう。

 

 

別の言い方をすれば、「友だち」の定義が変わったとも言える。それは人間関係の質も変わったことを意味する。最近の人間関係は「広く浅く」なったと批判めいて言われることがあるが、それが悪いとは思わない。しかし、「浅い」という点は意識する必要はあるだろう。

 

 

君子の交わりは淡きこと水の如し。適正な人間関係には一定の距離感が必要だ。他者との空間把握能力とでもいうのだろうか。バランスの良い人間は、得てしてこの力に長けている。

 

 

「浅い」ことと「淡い」ことは似ているようで違う。理解が浅いという表現の通り、「浅い」には「未熟であり、達していない」という意味が含まれている。他方、「淡い」とは「抑制している」という意味が込められている。

 

 

抑制とは、他者との空間的距離を把握して、適正に保つバランス感覚と言っていいだろう。それは「熟して」いるからこそ可能になる。成熟した人間関係の上に成り立つコミュニケーション。君子はそれを「淡きこと水の如し」と呼んだ。

 

 

「広く浅い」つながりは、「浅く甘い」つながりも呼ぶ。SNSでは他者とつながりも、それを切るのも手軽になった。自分に必要な「つながり」だけを選んでつながれる。それが現実の人間関係に浸食するのは必然だろう。メール1通で切れる手軽な関係が、「人間関係」になってしまう。それは責められることではない。

 

 

しかし、「つながり」と「つながった」ことの意味は違う。数多の人々の中から特定された人々と「つながった」ことに対しては、自分なりの意味を与える必要があるだろう。それを偶然と片付けてしまえば、人間関係だけではなく自分自身が「浅い」ままであり続ける。

 

 

これはイメージする力でもある。100年前同じ場所で巡っていた人々の暮らし。今この瞬間にも躍動する自然の営み。時間と空間にイメージを膨らませるとき、「つながった」意味もまた浮かび上がる。

 

 

先人はそれを「縁」と呼んだ。「袖振り合うも多生の縁」と言われる。それが科学的でも合理的でもないことは知っている。しかし、「縁」の重さを感じる人々には、他の人々には見えない景色が見えている。その景色を共有できる人間関係を、子どもたちには伝えていきたい。

 

 

(了)