イフ

「子どもと接する時に、一番気をつけることは何でしょうか」

 

 

若い母親からこう言った質問を受けることがある。その時に、私は次のように答えることがある。

 

 

「子どもと言えども人間です。心のどこかで畏怖の念を抱きながら接してください」

 

 

畏怖。辞書には「おそれおののく」とある。わかりやすく言えば、「嘗めない、見くびらない」ということだ。とりわけ、子育てや教育に関わる人間は、子どもに対する畏怖の念を失ってはならない。

 

 

子どもは感じている。大人の何倍もの速さで成長している彼らは、大人が感じるより遥かに多くを感じている。その感じ方は稚拙なものかもしれない。しかし、その稚拙な感情の積み重ねが、未来に向けて人格を作っていく。

 

 

もし、子どもを見くびり続けていれば、その子は他人を見くびるようになる。

 

もし、子どもを否定し続けていれば、その子は他人も自分も否定し続けるようになる。

 

 

子どもは未熟である。もし、その未熟さを責め、あげつらい、非難し続けたら、どんな大人になるだろうか。

 

 

不用意な一言で人は傷つくことがある。心ない言葉が忘れ得ぬ心の傷となることもある。成熟した大人でさえそうだ。未熟な子どもであれば、その傷は一層深くなることもあるだろう。もしかしたら、生涯をかけてその傷を癒し続けることになるかもしれない。まして、日常的に非難され、否定された子どもはどうなるだろうか。

 

 

苦しみや悩みを与えられることを、虐げられるという。虐待されるとも表現できる。虐待の根本にあるものは、人間という存在に対する無理解にある。人間とは何かをわかっていない無知と傲慢さが、感情のまま他者へと向かう。それでは人を育てることはできない。

 

 

人間を畏怖しない人は、人間の心の力を知らない。心には自分の人生も他者の人生も劇的に変える力がある。

 

 

私は、どんな年齢の子どもであっても、言葉と振る舞いには細心の注意を払う。その一挙手一投足が、子どもにどんな影響を与えるか知っている。事実、それを多く目の当たりにしてきた。無意識のうちに子どもはあらゆる情報を吸収して、自分の中に取り込んで、自分の一部とする。

 

 

もし、私が子どもを畏怖してこなければ、教育に携わっていることはなかっただろう。子どもはやがて大人になる。

 

 

(了)