自己中という限界

一方的に自分の意見を押し付ける人がいる。相手の話に耳を傾けない。ただ自分の考えを言う。

 

 

考えを変えるのは自分の体験によってのみ。自分の体験を通じて、信じるものと信じないものをふるいにかけ、自分の考えにすると決定する。

 

 

私はこの行動様式を知っている。見覚えがあるというには馴染みがあり過ぎる。これは幼児の行動そのままだ。自分の考えを疑わず、自分の体験を信じて行動するのは、典型的な幼児の姿である。

 

 

幼児は自己中心的だ。自分が思ったように行動して、その過程を通して自分の世界を広げていく。そこで他人の感情を学び、他者を意識し、自分を客観視する。そうやって自己中心的な世界の形を整える。

 

 

幼児は体験によってのみ、自分の世界を変える。幼児の世界は日常だ。幼児の自己中心性に振り回されるのは、親や先生に限られる。

 

 

しかし、大人の世界は遥かに広い。社会という枠組みの中で多くの人間が関わっている。自己中心性は、友人、家族、恋人、配偶者、部下、上司を巻き込む。公共の場ともなれば、誰もがその対象となりうる。自己中心的な人間にとって、他者とは「体験の道具」とも言えるだろう。

 

 

子どもが遊具で遊ぶのと同じように、自己中心的な人間は他者を使って自分の考えを試す。幼児と同じように、そうやっている自分を客観視できない。ゆえに、自分の行動を評価できない。

 

 

「体験」は時として子育てにも及ぶ。子育てが自己中心的な体験となる時、その先にどのような結末が待っているのか想像に難くない。

 

 

幼児の学力が急速に向上するのは、自己中の視点から解き放たれた時だ。ひとつの限界はその時に突破できる。自分の体験や考えに固執して、それがあたかも普遍的なものであると思い込んでいるうちは、何も変わらない。

 

 

自己中の人間は自己中であるがゆえに、客観的に自分を見ることができない。部下や子どもに追い抜かれていく惨めさに自分で気づかない。それが何より惨めだ。

 

 

人はわがままな存在である。しかし、他人の言葉に謙虚に耳を傾け、譲り合うことで品が生まれる。自己中という限界を超えた人間は、多かれ少なかれ、品を纏っている。

 

 

品は理屈を言わない。それ自体が証だ。

 

 

限界を超えた証だ。

 

 

(了)