To the mentors of the future

全世代の「教育力」を高める教育コーチのブログ

時を加速させる(7)〜無駄な知識〜

(前号からのつづき)

 

 

アカデミックな知識は「無数の世界」の存在を実感させる。次は、そこに散らばる知識をプラクティカル(practical)に変える必要がある。「学力」にはそのプロセスも含まれる。

 

 

プラクティカルとは「実用的」と訳される。それは「実人生に役立つ」とも言い換えられるだろう。

 

 

役立つとは損得ではない。豊かな人生に資するということだ。そのためには自らの力で考えることが欠かせない。自分の力で考えてこそ、自分の人生を自分のものにできる。ここで言う「実用的」とは、「自分の人生を自分のものにするために役立つ」ことを意味する。

 

 

誰かに考えてもらった人生ではなく、自分で考えて作り上げた人生。それはクリエイティヴな行為の所産でもある。「自分の人生を自分のものにする」ということは、自分の人生を創造するに等しい。

 

 

キリンの粘土像のように、自分の人生は自分で作る。

 

 

学びとはその一点に向かうものだ。化学は社会で役に立たない、古典は使わない、よってプラクティカルではないという浅薄な考えでは、自分の人生を創造するのは難しい。無条件に「プラクティカルであるもの」は限られている。一見無駄に思える学びに潜む「実用性」に気がつくことが大切だ。

 

 

自分の狭い世界に存在しない知識を「無駄な知識だ」と切り捨てる人間と、「無駄なことは何もない」と考える人間がいる。自分の世界に影響与える学びを毛嫌いしていると、小さい世界のまま年齢を重ねていくことになる。

 

 

無駄なことは何もない。そう考える人々は「全ては実用的である」という考えに基づいて行動する。自分の世界に存在しなかった知識を受け入れ、自分の世界を大きくしていく。

 

 

これは才能の差であるとは思えない。損得で仕分けられた「実用性」を身につけるよりも、「無駄なことは何もない」と考える方が遥かにプラクティカルだ。持てる才能を自ら存分に引き出す思考でもある。

 

 

無駄なことは何もない。この思考を生み出すのは謙虚さである。謙虚であるがゆえに、自分の世界にないものを広く受け入れる寛容性を持ち合わせている。

 

 

頑で、意固地で、自己中心的な人間は、自分の世界の守ることに躍起になり、意にそぐわないものを排除する。これではせっかくの学びをプラクティカルに変えることができない。

 

 

プラクティカルな知識の少なさは、手詰まりを招く。行き詰まりを感じて、身動きが取れなくなる。学校制度を離れてからの人生の方が遥かに長い。それを忘れた学びは本末転倒になる。

 

 

(続く)