一流は本当の「得」を知っている

損か得か。

 

 

広い意味でも狭い意味でも、人は損得で物事を判断する。それは昔から変わりはない。

 

 

人間関係ひとつをとってもそうだ。ある人との付き合いが、自分にとって有益であるか否かで判断する。トラブルを招く人間関係を自ずと避けるのは、「損得」の判断が働いているためだ。

 

 

ただ、最近は、金銭的に換算できることを「損得」と考える傾向が強い。これはある意味当然のことかもしれない。産業社会が成熟期に入り、利益やコスト管理といった経営的視点が広く普及した今、個人の生活にも及んでいる。

 

 

子育てとて例外ではない。大抵の大人は自分の世界をそのまま子どもにスライドさせる。自分が置かれている状況を、そのまま子どもに当てはめる。子どもを部下のように扱う親も増え始めている。

 

 

30年前とは異なり、企業は短期的な利益を出すことに追い立てられている。当然のことながら、社員はその方法や考え方を身につけていく。彼らが親になれば、多かれ少なかれ子育てに影響を与える。

 

 

その意味で、現在の子育ての主流は「短期的」になっている。短期的な目標設定を踏まえて、「損か得か」の判断を下す。

 

 

このように産業社会が織りなす現象が子育てや教育に波及するのは当然のことだろう。大人から直接影響を受ける子どもが、それを免れる理由はない。

 

 

多くの事例が示すように、短期的な利益に縛られている企業は、長期的には衰退する。長期的なビジョンを持ち、将来に向けての投資を行ってきた企業が、結果的には確固たる地位を築き上げる。

 

 

確かに、現行制度と経済状況においては、長期的利益を短期的利益に優先させることは難しい。しかし、子育てや教育は、親の考え方を除き、短期的利益に縛られる必要がない。

 

 

ドラッカーは、短期的な利益の累積が長期的な利益ではないと断じた。

 

 

これはそのまま子育てや教育にも当てはまる。受験や資格のような小さな目標の積み重ねが、長期的な「利益」に繋がる訳ではない。

 

 

子育てや教育にとっての長期的利益とは、本当の意味での「得」のことを指す。大学受験合格さえも「短期的利益」であると考えることで、子どもにとっての長期的利益たる「得」は見えてくる。

 

 

この「得」は無形のものではない。「金銭的に換算できる」得である。

 

 

例えば、礼儀正しさが、生涯に渡ってどれだけの「得」になるかを想像することは、長期的利益を考える上で参考になるだろう。これを「算定」する才覚が、これからの時代の子育てにとって、最も重要な資質のひとつであろうと思う。

 

 

(了)