先が見えないときにすべきこと

先が見えない時がある。

 

 

手応えのない毎日。今日が繋がる日が見えない。茫漠とした日々が、いたずらに過ぎてゆくように感じる。

 

 

勉強・仕事・恋愛・結婚・子育て。この状況を打開したいと思う。何か特別な方法を知りたくなる。

 

 

この世界のどこかにもっと効果的な方法があるのではないか。現状を変える「特別なやり方」があるのではないか。そんな思いにとらわれる。

 

 

もしかしたら、あるのかもしれない。だが、それと引き換えに「積み木」を手放すのは違う。

 

 

今日も大変な一日だったが、なんとか乗り切った。一日という「積み木」を日々積み重ねる。その積み重ねが、変化である。

 

 

今の自分が取り組んでいることは、いくつの積み木で完成となるのか。それは知らない。だが、あらかじめその個数は決まっている。そう考えてもいいかもしれない。「決められた個数」を自分は知らないだけだ。しかし、その数を積み重ねた時、状況は一変する。

 

 

一度でいい。これを体験すれば、積み木を重ね続けることに疑いを抱かなくなる。「決められた個数」に到達すれば、今の自分には思いもつかない変化が訪れるという確信を掲げながら、黙々と積み木を重ねることができる。

 

 

小さな成功体験から始める。積み木が「決められた個数」に達すれば、状況は変化する。それを知るだけでいい。

 

 

本来積み重ねるべき積み木を放って、目新しい別の方法に目移りしていると、積み重ねる手が疎かになる。等しく与えられた時間があり、にもかかわらず「差」が生まれるのは、ここにも理由がある。

 

 

積み木はひとつずつ積み上げるものだ。一度に十個積み上げる方法があったとしても、それは不安定な土台となる。

 

 

完成した積み木の全体像をイメージしながら、毎日ひとつずつ積み重ねる。焦って二つ手にしてはいけない。仮にそれが上手くいったとしても、一つを積み重ねるフォームが崩れる。そこで失った積み木の数を一度に取り戻そうと、特別な方法を探したくなる。

 

 

積み重ねている姿を誰かは見ている。積み重ねた積み木を誰かが評価してくれる。積み重ねた積み木それ自体が、誰かによって必要とされることもある。もちろん、完成した積み木が、次の道への手がかりを教えてくれる。

 

 

子どもが積み木遊びに夢中になっている姿を目にしたことはあるだろうか。目の前の積み木に懸命に集中して、積み木それ自体を楽しんでいる。気づくと、積み木は完成している。純粋に積み木を積んでいる。

 

 

それでいいのだろう。

 

 

(了)