不誠実な人間を遮断する

コミュニケーションを自ら遮断する。

 

 

その選択に迫られる時がある。不誠実な人間と対峙した時だ。

 

 

不誠実な人間に出くわすと、「誠実であること」を怖れてしまう。相手に向けた誠実さを逆手に取られ、利用されるリスクにさらされる。そうすると、コミュニケーションを遮断することでしか自分を守れなくなる。

 

 

コミュニケーションの遮断は、可能性の遮断でもある。コミュニケーションを放棄した時点で、関係は朽ち果てる。リスクと引き換えに、可能性も消える。

 

 

不誠実な人間を相手に、どんな可能性があるというのか。

 

 

恐らく何もないだろう。不誠実な人間を変える義務も、誠実な人間になるまで待つ義務もない。不誠実な人間は見捨てるのが最善の策だ。不誠実な人間に奪われている時間と労力によって、あなたの誠実さを求める人間がどれほどの損害を被っているのだろう。

 

 

しかし、不誠実な人間に対抗するためとはいえ、自分の誠実さを投げ捨ててはいけない。それは不誠実な人間の仲間入りをするのと同じことだからだ。

 

 

誠実さとお人好しは違う。時として、他者だけに向けられた誠実さは、お人好しになる。そこに不誠実な人間が群がる。

 

 

誠実さは、他者ではなく自分に向ける。自分に誠実であることで、反射的に他者にも誠実になれる。一度自分に当てることで、誠実さは毅然とした力を帯びて他者に放たれる。

 

 

毅然とした誠実さは灯りである。それは人を集め、人を動かす。上に立つ者は、毅然とした誠実さを掲げることで、下の者に心を示すことができる。

 

 

毅然とした誠実さは心でもある。心ないものに価値はない。人は損得を超えて、心あるものを求める。それに気付くことで自由になれる。

 

 

(了)