99の方法論・1つの方法論

「画竜点睛を欠く」という諺がある。

 

 

かつて中国に張という絵の名人がいた。彼が安楽寺の壁に竜の絵を描いて、最後に瞳を描き入れたところ昇天したという。「睛」は瞳を意味している。瞳を描くことで竜に魂が宿った。

 

 

「魂」とは何か。この答えは各人の世界観や人生観によって変わる。だが、魂がなければ肉体は動かないというイメージはつく。どんなに精緻な構図であっても、どんなに装飾が施されていても、魂のない絵は躍動しない。

 

 

100のうち、99が揃っていても「その1」がなければ全体が機能しないもの。ここで「魂」と比喩されたものは、その意味で捉えて頂きたい。

 

 

教育や自己啓発に関する方法論は出尽くしている。一部の人々しか知り得なかった知識や情報は、ほとんど全ての人々の間が共有できる時代になった。共有する意志と実行する意思、そして運用するスキルがあれば、羅針盤は決まった方角を指す。

 

 

経済力があれば尚のこと、よりコンパクトでパッケージされた方法論を手に入れることができる。わかりやすく、懇切丁寧で、明確な道筋が示されているもの。教育における経済力は、その購入を可能にする。100のうち、99まではそれで事足りる。

 

 

しかし、99に満たなくても。当たり前のように教育は成立してきた。社会や地域に師弟関係が根付いていた時代、「師」の役割を果たした人間から、感化され、インスパイアされ、「その1」を与えられてきた。その人間は、学校の教師であったかもしれないし、職場の先輩なり上司だったかもしれない。特別な技術を授ける「師」の存在は、現代で言う「尊敬できる人間」の役割を担っていた。

 

 

「その1」によって、99に満たない数少ない知識の深さを知り、実際の数よりも多くを応用することができた。「師」によって感化され、インスパイアされ、本人が持っている力があまねく引き出される。

 

 

他の方法論とは異なり、「師」は購入できない。ここに現代教育の最大の不幸がある。

 

 

これは最近に始まったことではない。既に現在の親が子どもの時に事態は起こっていた。「師」の経験のない子ども達が親になれば、子育てから「師」は消える。必然的に99を集めることに躍起になる。社会の変化が教育に大きな影響を与えた一例だ。

 

 

99は手に入る。だが、99よりも重要な残りの「その1」を手に入れる方法はない。

 

 

近代は古代に回帰する。近代教育もまた、古代の教育にこれからの在り方を探すことになるだろう。とすれば、子どもにとっての「師」を探すという流れに、これから時間をかけてシフトしていくことになる。

 

 

いや、そうならざるを得ない。これからの時代を乗り越える力を身につける方法論は他に考えにくい。

 

 

(了)