続・「自分を変える?」「自分を変えない?」 正解はどちら?

 

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「自分を変える? 自分を変えない?」

 

 

その質問に対する正解は一つしかない。

 

 

「自分を変えてはいけないし、自分を変えなくてはならない」

 

 

どの自分を変えて、どの自分を変えないか。

 

 

問題は「どの」の部分であって、「変える・変えない」の問題ではない。メンターはこの点を明確にして話を進める必要がある。そうすると、次のような質問が返ってくることになる。

 

 

「では、どの部分を変えて、どの部分を変えないのですか?」

 

 

この場合、「変えない」ものから説明すると相手は納得しやすいだろう。「変えない自分」とは、時代や文化にかかわらず、不変で普遍的な価値観に基づく自分のことだ。時代や文化によって呼び方も括りも異なるが、ここでは「真善美を軸とした自分」と表現したい。

 

 

「真善美」とは西洋哲学の礎となる重要な概念だ。認識上の「真」、倫理上の「善」、審美上の「美」という時代や文化を超えた普遍的価値。人間が追い求める理想の価値とも言われるが、これに基づいた自分は変えない。変える理由がない。「真善美」を求めようとする自分が「真善美を軸とした自分」として評価される。

 

 

他方、それ以外の自分は変える。変える理由がある。人間の理想となる普遍的価値が「真善美」であるとするなら、それ以外は「常識」と呼ばれる相対的価値だ。

 

 

「常識」は時代や文化によって変動する。時としてアンチテーゼの「非常識」が真逆のテーゼとなって厚かましく入れ替わる。180°価値観は転回する。

 

 

コペルニクス的転回と称される天動説から地動説のシフト。空間は曲がらないとされた常識を打ち破った相対性理論。ニュートン力学の常識を根本から覆し、量子は複数の場所に同時に存在することを発見した量子力学。常識はことごとく蹴散らされてきた。

 

 

疑う余地がないと思われていた自然科学における常識でさえ非常識となる。まして、人間の営みである社会の「常識」など、小石につまずくような小さなきっかけでたやすく「非常識」に転じる。権威、伝統、評判。その脆弱性を読み解くのが洗練された知性と呼べるのではないだろうか。

 

 

この地殻変動の時代、いつどんなタイミングで「常識の崖崩れ」が起こっても不思議ではない。10年後、どれだけの「現在の非常識」がうねりとなって、「未来の常識」として君臨するのだろうか。現在の常識に投資したことが水の泡になり、非常識の道を歩んできた人々が報われる。それが「常識」となる時代が到来する。

 

 

ここ10年、それまで堅実で安定していると評されたものが崩れていく様を、確かに目にしてきたはずだ。さらに加速度を増していく時代、それ以上のことが起こりえないと言い切れるのはなぜか。メンターであれば、それは確実に相手に伝えたい。

 

 

「常識」は「非常識」との間を揺らいでいる。現在の常識は未来の非常識になる。東日本大震災以前の「非常識」が、震災後瞬く間に「常識」に転回したことを思い出して欲しい。「常識」の裏側に透ける「非常識」の気づきを与えることも、メンターの重要な役割だ。

 

 

その不安定な「常識」に自分を委ね「常識を軸とした自分」に固執してしまえば、非常識と常識が入れ替わったとたん、大波に飲まれたシーカヤックのようにひっくり返る。「譲れないもの」が「常識」であるとするなら、常識の崩壊とともに、その上に自分の築き上げてきたものも共に崩壊する。

 

 

「曲げられない信念」は曲がらない土台の上でなければ成立しない。時間や世俗の風雪によって風化しない「真善美」の上に立ち続けるのでない限り、危うい。

 

 

(了)