尊敬の条件:「直観力」という明哲さを鍛える方法

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幸運にも、あなたがこれまで「明哲なリーダー」に出会っていたと仮定しよう。「明哲なリーダー」とは、あなたに「劇的な変化のきっかけ」を与えてくれた人のことだ。

 

 

それは多くの場合、会社の上司や学校の教師や先輩、または親や親類などの上下関係に見られるが、友人のような対等な関係性の中にも存在する。その人の「たった一言」が、あなたの価値観を根こそぎから覆す力を持った人だ。

 

 

その一言は二つの場合に分類できる。一つは、あなたが隠してきたことを言い当てられたとき。もう一つは、あなたが全く気がつかなかったことを指摘されたとき。

 

 

そのときあなたは感嘆を込めて、次のように思うだろう。

 

 

「なぜ、わかったの?」

「なぜ、わかるのだろう?」

 

 

もしかしたら、あなたはその驚嘆と賞賛がないまぜになった「なぜ」の感情を抑えられず、思わず言葉にしたことがあったかもしれない。

 

 

しかし、明哲なリーダーがその質問に答えるのは難しいだろう。彼らは「直観力」を使っていることを打ち明けるのをためらうからだ。その質問をすること自体、相手の「直観力」の欠如を示している。明哲なリーダーは、そんな相手に対して軽率に「直観力」という言葉を使うことが、いかなる誤解を招くかを直観する。

 

 

直観力は瞬発力という点おいて、「思いつき」や「勘」や「直感」に似ているが、決定的に異なる点がある。それは論理的であり、思慮深いということだ。その論理性が、直観力を直観力たらしめ、その使い手に明哲さを付与する。

 

 

これは弁護士が用いる法的構成と似ている。論理で結論を導くのではなく、まず直観的に結論を導いてから、そこに法律的な根拠を論理的に後付けする。数学のセンスに長けた受験生もそうだ。直観的に正解がひらめき、それをもとにプロセスを探す。

 

 

しかし、法律や数学と異なり、人の未来は複数存在する。最善の未来(the best option)と最悪の未来(the worst option)の狭間に、いくつかの未来が並行している。

 

 

メンタリングにおける直観力とは、相談者の最善の未来と最悪の未来を直観して、その幅の広さを正確に見極める力を意味する。メンター資質を持つ人であれば、この手法を取り入れて相談者と向き合っているはずだ。両極端な二つの未来を直観的に見つけ、それぞれの未来と現在を結ぶ線を論理づける。

 

 

コンサルティングとメンタリングの違いを尋ねられることがあるが、簡単に言えば、前者が「現在から未来を見る」ことであるのに対して、後者は「未来から現在を見る」ことにある。両者は似て非なるものだ。コンサルティングは相談者を感心させるが、メンタリングは相談者に感銘を与える。メンタリングは「未来からの言葉」であるがゆえに、相談者に対して「劇的な変化をもたらすたった一言」になりうるのだ。

 

 

「あの人は本当に有能で切れる」と評される明哲なリーダーの多くは、「未来から現在を見る」というメンタリングの直観力を自然に使いこなしている。彼らは直観的未来から現在を見る習慣が身についているため、他愛ない雑談の中にもそれが現れる。明哲さが「雑談力」に現れるのはそういうわけだ。

 

 

それでは「直観力」を鍛える方法はあるのだろうか。万人に通用するかどうかはわからないが、その力を有する人の考え方は参考になるだろう。

 

 

まず、「現在に執着し過ぎない」ことが大前提となる。人は不安や焦りや嫉妬のようなネガティヴな感情が肥大すると、あらゆる意識が現在にへばりついてしまう。ネガティヴな感情には中毒性と常習性があるからだ。

 

 

その意味でネガティヴな人を「病んでる」と表現するのはあながち誇張表現とは言えない。「ネガティヴジャンキー」と呼ぶべき状態に陥っている彼らがその状態を脱するには、ポジティヴへの「コペルニクス的転換」が必要となる。

 

 

日本では、ポジティヴを「攻め」の意味で使うことが多いが、実はネガティヴから自分を解放する「守り」の役割を果たしている。

 

 

勘違いしている人が多く見受けられるが、ポジティヴとは純粋で無垢な心の持ちようではない。この世界に平然と横たわる全ての事象、つまり、真と偽、善と悪、美と醜、聖と俗、合理と不合理、条理と不条理を受け入れた上で、その全てに意味があるという肯定的結論を引き出せる知性の一側面をポジティヴと呼ぶ。

 

 

次回はさらに具体的な方法を書いてみたい。

 

 

(続く)