To the mentors of the future

全世代の「教育力」を高める教育コーチのブログ

AI時代の子育て

f:id:kishiharak:20180919140611j:plain

 

 

昭和初期、洗濯板で洗濯した人の誰が、現代の全自動洗濯機を想像できただろうか。リンドバーグの時代の誰が、100年も経たないうちに空の交通渋滞が起こるほどの航空機が飛び交うと想像できただろうか。

 

 

現代もやがて、昭和初期になる。「未来の現代」に生きる人々は、「今のAIなき現代」の人々の暮らしと考え方を習い、AIなき生活の不便さに非現実感をもって驚くだろう。「今の現代」の私たちが洗濯板での生活など考えられないように。

 

 

AIは社会を革命的に変える。それは生活の利便性が飛躍的に高まるということにとどまらない。人々の考え方変え、生き方も変える。そこには当然、子育ても含まれる。

 

 

マイクロソフトが開発した女子高生AI「りんな」が登場してから3年が経つ。LINEの公式アカウントのサービスで、友だちとして追加すれば誰でも会話できる。恋愛相談など、いろいろな会話ができることでユーザの人気を博している。

 

 

マイクロソフト社によれば、「りんな」のAIは、Bing検索エンジンによるDeep Learningの技術と、機械学習のクラウドサービスを組み合わせているという。ネット上の膨大な言語を、適切な会話として継続できるように考えられている。

 

 

Deep LearningとはAIである人工知能の要素をなす技術をいう。現在、この分野の研究は日進月歩で進んでいる。言語化できない暗黙知すら習得するのも時間と問題と言われている。ビジネスにとどまらず、Deep LearningとAIの進歩は社会全体に巨大なインパクトを与えるのは避けられない。

 

 

最適な未来を予測するAIはやがて、個別の人間の未来も予測することになるだろう。「りんな」とLINEで会話した世代は、AIとチャットで相談することに何の抵抗も抱かない。入り口はAIを使った占いのサイトやアプリだろう。それらは瞬く間に人気を博し、その次にカウンセリング型AIが登場する。さほど突飛な考えではない。

 

 

思い込みと強気な物言いの人間や根拠の薄い占いよりも、高度なアルゴリズムを用いたDeep LearningのAIに信頼を寄せるのは自然なことだろう。AIは理不尽に怒ることもなく、AIの機嫌を取る必要もない。先入観を持たずにフラットに接してくれるAIは、面倒な人間よりも気兼ねなく接することができる。

 

 

既読スルーも未読スルーも存在しない。相談したいときに相談でき、人間よりも遥かに的確な解答と未来予測を与えてくれる。周囲に相談相手が存在せず、孤立している人ならなおさら頼らざるを得ない。そのような人々は、これから増え続けることはあっても、減ることは考えにくい。

 

 

誰にも相談できない子育ての悩みをAIに相談する。どんな習い事をさせるべきか、その頻度、読ませる本、受験校、反抗期の子どもとの接し方、コミュニケーションの取り方など、そういった個人的な質問に「誠実に」かつ「理性的に」答えてくれるだろう。

 

 

これは子育てに限ったことではない。結婚相手や就職先など、決断や解決が難しいことをAIに任せることにもつながる。それはAIの指示に従って人生を生きるのと同じことになる。

 

 

かつて親が威厳を保つことができた理由のひとつは情報の独占にあった。しかし、親子の情報格差がなくなると、親の正体は白日の元にさらされ、子どもは親に人間的評価を下すようになった。

 

 

AI時代の子どもは、AIの知性を手軽に利用できる。親がAIに相談して子育てをすれば、子どももAIに相談して親へ対応する。スマホのような個別のツールが普及し、アプリのようなものを介在して、AIと相談する。今の子どもの次の世代は「AIネイティヴ」として育つだろう。今の子どもは、まさに親世代がIT革命の波に翻弄されたように、「AI革命」の激しい渦に巻かれる。

 

 

その激しい渦に苦痛は伴わない。むしろ生活は便利で楽な方へと加速度的に向かう。それは裏で人から考えることを奪う。現代の今でさえ、考えることができない人々が増えている。考えることを情報処理だと錯覚している人々には、自分の人生観や哲学を持つ人間がたたえる「知性の灯」が見えない。

 

 

AI時代はより知性の階層化が進むだろう。上位の人々ほど、知識より知性を磨くことを考える。今、非認知能力や人間的魅力、徳育があらためて脚光を浴びているが、それは振り子の反動のような必然とも言える。今の教育や子育ての主流である「形式知の獲得」の限界に気づき始めている人々から順に、そこから離れようとする。

 

 

確度の低いAIのような存在に我が子を近づけることが子育てなのだろうか。そこそこ以上の衣食住を子どもに得させるための教育が、これからの時代を生きる子どもにとって最善の教育なのだろうか。そもそも、「今」が三十年後の未来も同じ「今」になっている保証はあるのだろうか。むしろ、これまでにあり得なかった社会構造の変化が起こると考える方が自然なのではないか。

 

 

その疑問を抱く知性ある人々は、今自分たちが時代の変革期に立ち会っていると実感している。文明そのものが別のフェーズに移行していると言っても過言ではないこの時代、我が子が入社した会社そのものはもちろん、職種そのものが消える可能性も小さくないという知見。

 

 

その知見が現代の子育ての海抜0メートルとなる。子育てのハードルがこれほど高い時代もないだろう。頼れるのは己の知性だけになる。情報や知識は知性を磨く素材であって、知性そのものではない。AI時代の子育ては、情報収集力ではなく、物事の核心を突く知性でその質が決定する。

 

 

人間とは何か。先人が追求した知を学び、それを考え抜いた人が、AI時代の子育てを乗り越えることができる。それだけが確かなものだからだ。手に入れた確かなものの確かさだけが揺るぎない自信となる。

 

 

子どもに「人間としての確かさ」を与えることができるかどうか。今を含めて、AI時代は学び続け考え続ける力量と、核心を突く知性がとことんまで試される。(了)