ダイヤモンドのような人間関係

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以前、とある教え子が彼氏ができたことをわざわざ報告しに来てくれたことがあった。彼女が高校だった頃、彼氏ができたら私に報告すると一方的に約束してくれたことを思い出し、そのいかにも彼女らしい律儀さに思わず口元が緩んだ。

 

 

「先生が教えてくれた判別方法をばっちり使わせてもらいました!」

 

 

律儀さに加えて彼女は慎重な人間だった。特に人間関係に対してことさらに高い感度を持っていた。コンビニでアイスを買うような気軽さで人と繋がれる時代だから、他者の価値がデフレを起こし、その他者と関わる自分も価値を下げるという循環に入っている。そんな話に身を乗り出して耳を傾けるような教え子だった。

 

 

彼女は二者間の人間関係の分類について最も興味を示した。対等な接点が生じた二者間の人間関係は三つに分類できる。気が合わない関係、気が合う関係、そして高め合う関係。面識があるという挨拶の関係から、知人という会話の関係に距離が縮まるとき、二者関係に対等な接点が生じる。

 

 

「1000の気が合う関係も、1つの高め合う関係には及ばないと先生が話してくれたの覚えてます?」

 

 

もちろん覚えている。高め合う関係に身を置いている人とそうでない人を比較しながら、年月の経過とともに外見や内面に生じる変化についても、質問されたことに全て答えた記憶がある。彼女は豊かな好奇心に縁取られた瞳をらんらんと輝かせながら、まるで手品の種明かしを説明されたときのように、自分が納得できるまで繰り返し尋ねた。

 

 

人は原石のまま生まれてくる。誰もが宝石の原石であるという表現を華美な比喩だと一笑に付す人がいるとしたら、年齢でしか自分の変化を実感できない人なのだろう。それぞれの原石を磨き合うのが高め合う関係である。その経験が透き通るような聡明さを与える。

 

 

「透き通るような聡明さという言葉を先生から聞いたとき、いろんな意味で衝撃でした」

 

 

聡明さにはダイヤモンドにも通じる透明感がある。それは手を加えられていない原石のような無垢や無知とは違う。いびつな原石の形を整え、濁った表面を削り、注がれた光を反射させ輝きに変えるカットによって生み出された透明感である。ダイヤモンド原石そのものの透明度、カラー、カラットを変えることはできないが、カットによって輝きは見違えるように変化する。高め合う関係はそれに重なる。

 

 

自分ひとりで磨いた輝きには勝ち気な鋭さがある。だが、高め合う関係で磨いた輝きには知性の深みがある。彼女はその話も鮮やかに覚えていた。その屈託のない笑顔を見て、素直さというのは、ダイヤモンドで最も高い評価を受ける無色透明と同じ資質なのだと改めて実感する。

 

 

(続く)