目は物語る

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(前回からの続き)

 

 

「まず相手の部屋の本棚を見ることでしたよね?」

 

 

本棚は当人が住んでいる世界の縮図である。気が合う関係を求めるのであれば、その感覚に従って繋がればよい。しかし、持続的で緊密な高め合う関係を求めるのであれば、相手が読んでいる本の種類を把握する必要がある。

 

 

本を読まない相手は、高め合う関係に向いていない。読書とは自分の世界を広げようとする行為なのだが、その習慣がないということは、いつまでも同じ大きさの世界に留まり続けている、またはそうしようとすることを示唆している。

 

 

読書とは自分をアップデートする手段であると言い換えることもできるだろう。挑戦もまた、自分をアップデートする残り二つのうちの一つの方法だ。日々何かに挑戦し続けていれば読書に頼らずとも世界は広がる。

 

 

しかし、煩雑で多忙な日常に追い立てられている状況に挑戦を持ち込むことは容易ではない。地に足をつけて日常から地道に養分を吸い上げることによって、自分の世界の均衡は保たれる。だが、それは、均衡が保たれるだけに過ぎない。

 

 

子ども時代に与えられた子ども部屋はやがて手狭になり、窮屈に感じる。その狭い部屋にいながら人と繋がり、学校に通い、仕事をする。部屋の窓から見える風景は子どもの頃と違って、山の稜線は新築のビル群に隠れ、鳥のさえずりの代わりに幹線道路を走る車の走行音が聞こえるようになった。外の世界の変化の気配は感じるのだが、誰がどうやって何の目的で変えようとしたのか知る由もない。自分の世界は昔からの子供部屋であり、そこで全てが完結しているという事実は、やがて鬱屈を招き、その感情の棘は自分と他人に交互に、または同時に向かう。

 

 

「本棚は小さくて、数もそんなにありませんでしたが、漫画とか真面目な本とか、私の知らない本がいろいろありました」

 

 

本棚にある本の数を見るのではない。本の種類に注目する。その種類の幅が相手の世界の広さそのものだからだ。漫画、雑誌、スポーツ、文芸、専門書といったさまざまな分野の本が本棚に覗けば覗くほど、相手は広い世界に住んでいる。

 

 

子ども部屋で一緒にテレビを観ながら宅配のピザを食べる。話題はテレビのドラマやニュースやピザの味や子ども部屋で起こったことが大半だ。愚痴とささやかな笑いを延々繰り返して時間が過ぎていく。ときどき部屋の外に遠出して、普段と違った風景や食べ物を楽しみ、また子ども部屋に戻る。その平坦な日常にくすぶる鬱屈と漠然とした不安の火種の正体は、自分を高める喜びを知らないことに対する無自覚な焦りによる。

 

 

世界の仕組みとは人生の仕組みとも言い換えられる。それは世間知や暗黙知や身体知とも違う。充実や幸せや自己実現の最深部で音もなくうねる認識の固まりのようなものだ。読書と挑戦以外で自分の世界を広げる最後の方法に数えられるものは、人生の仕組みを教えてくれる相手と関わることに集約される。

 

 

 

自分の世界を広げるこの三つの方法が、人生の優先順位として上位に位置すればするほど、人生の質は高くなる。互いにそれを認識した二者関係が、高め合う関係として、倦んだ空気を換気しながら、人生の仕組みを少しずつ解き明かしていく。そのことにいつ気づくかによって、無知が生み出す漠然とした不安も失せる。自分の世界を広げることは、無知に苛む自分を介抱し、人生の解法に気づかせ、子ども部屋に閉じ込められた小さな自分を解放する。

 

 

自分を高める喜びを知っている目の光と、透き通るような聡明さをたたえた目の光は、まるで親ツバメの餌を待つ雛ツバメたちのような貪欲さで、人生の仕組みを見た者だけに宿る躍動的な光彩を発しながら、新しい世界への隠し扉の場所を照らそうとする。

 

 

(了)