あなたは自分の才能に気づいていますか?

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誰もが何らかの才能を持って生まれてくる。この言葉を素直に信じる人々はSMAPの「世界に一つだけの花」によって広く知れ渡った「オンリーワン」に対する期待と憧れをそこに重ねる。

 

 

一方、その言葉を何者にもなれない人の慰めと揶揄する人々もいる。ギフトという一握りの才能をもって生まれた人々と、そうでない自分に隔たる歴然とした不平等な差を前に、ふつふつと湧き上がる諦めと失望を克服しようとして、ねじれた理屈で自分を納得させる。

 

 

彼らにとって才能とは、スポーツや勉強や芸術といった万人の評価を受けやすく貨幣によって交換価値を把握できる類型の資質をいう。その幾つかの資質が才能としてカテゴライズされた狭い世界で、彼らが呼吸をしているという証拠にもなっている。

 

 

本来、才能は多岐に渡る。クリエイティブな才能、身体の器用さに関する才能、身体の強靭さに関する才能、数字に関する才能、論理に関する才能、コミュニケーションに関する才能、言葉に関する才能、発見する才能、管理する才能。人の上に立つ才能。

 

 

人から好かれる才能、教える才能、教わる才能、料理の才能、五感に関する才能、暗黙知に関する才能、身体知に関する才能、人間性を見抜く才能、人の気持ちを察知できる才能、社交的な才能、努力できる才能、未来を予測できる才能など挙げればきりがない。

 

 

他者に比べて尖った資質は、すべて才能である。スポーツや勉強や芸術のようなわかりやすい才能は誰でも発見できるが、それ以外の才能は「才能を見つける才能」の持ち主でなければ、一生埋もれてしまう。

 

 

「才能を見つける才能」によって、才能はこの世に存在する。この才能に出会わないばかりに埋もれた才能は計り知れない。誰もが何らかの才能を持って生まれてくるにもかかわらず、それを見出してくれる人がいなければ、才能はこの世に存在しないことになる。

 

 

自分の才能に気づいた人間は、それを気づかせてくれた人間と出会っている。人生の最優先事項は、「才能を見つける才能」を持つ人間との出会いだと断言してよい。多くの人は固有の自分の才能に気づかずにこの世界を去って行くからだ。

 

 

アメリカのキャシー・デビッドソンという研究者が2011年8月のニューヨークタイムズ紙インタビューで語った言葉は瞬く間に世界に拡散された。

 

「2011年度にアメリカの小学校に入学した子どもたちの65%は、大学卒業時に今は存在していない職業に就くだろう」

 

 

今から20年前、YouTuberなる仕事が成立するなどと誰が予想しただろうか。20年前、彼らのほとんどは遊び好きで、自己顕示欲が強いお調子者という冴えない評価にとどまっていたことだろう。これからは人に元気を与える才能や暗黙知に関する才能といったITによって乾いた潤いを与える才能が高い評価を得るかもしれない。

 

 

「才能を見つける才能」とは広い世界を知っている者に宿る。旧態依然とした価値観が支配する狭い世界には、昔ながらの才能の尺度で人を評価する人々が、20年後の世界が激変することを想像できないまま居座る。

 

 

才能を埋もれさせるようなコミュニティから颯爽と抜け出し、自分の才能を見出してもらうことを考える。そこに向けての努力は惜しんではいけない。自己肯定感や自信はそこから生まれるからだ。

 

 

心から人に優しくできる人はみな、そのステージに達している。