To the mentors of the future

不透明な時代を生きるための透明な自己肯定感を得る

いい人生を楽しむ

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質問には質問者の性格や考え方がそのまま投影される。質問ひとつで、質問者がどのように世界を見ているのか、どのように世界を見て来たのか、つまびらかになる。

 

 

先日、教え子と数年振りに再会を果たした。30代も半ばに差しかかろうという年齢だと聞かされ、口元があきれたような笑みの形に変わる。初めて彼を教えたのは、彼が小5のときだから、かれこれ四半世紀のつき合いになる。

 

 

互いの近況報告を済ませたあと、不意に彼は質問を繰り出した。

 

 

 

「先生にとって、人生とは何ですか。アナザースカイっぽいですが」

 

 楽しい旅。そう私は即答した。

 

「そうです、そうですよね。楽しいですよね」

 

 

 

彼はひどく納得したような顔で、自分も人生を楽しんでいる、こんなに人生を楽しいと感じる自分はなんて幸せなのかと思う、と続けた。

 

 

順風満帆な道を歩んできたわけではない。むしろ、思うに任せない多くの挫折を経験してきた。その中で彼は、自分の多様な経験が現在の自分を創り上げたと確信していた。そう言って美味しそうにグラスを煽った横顔には、記憶にない逞しさが覗いた。

 

 

人生は旅である。それが比喩ではないと気づくとき、本当の意味での人間的な成熟が始まる。

 

 

旅には始まりと終わりがある。濃い霧が立ち込める無人駅に停車した列車に乗り込む。誕生という旅の始まりは、それに似ているのかもしれないとも思う。

 

 

乗り込んだ列車の車両のボックスシート。その座席にすわり、向かい側に座っている乗客の世話を受けて育つ。やがてそのシートから一人で立って歩けるようになると、他の乗客と顔見知りになる。それは湖面に投げ込んだ石が織りなす波紋のように、人間関係が広がってゆく。

 

 

狭い車内の至る所に充満する喜怒哀楽。一つでも多くの「いい日」を手に入れようと、やがていつかは下車するということを知ってかしらずか、他の乗客と競り合い、未来の不安にかき消すことばかり考えている。「いい日」を楽しもうと躍起になる。

 

 

しかし、「いい日」の積み重ねが「いい人生」ではない。それに気がついた人々は、車窓の景色を眺める。小さな乗客と一緒に指を指して楽しそうに話をしたり、誰かと黙って眺めている人もいる。彼らは自分たちが旅をしていることを知っている。

 

 

車窓の景色は変わり続ける。毎日停車するどこかの駅で、小さな乗客が乗り込み、入れ替わるように降りる人々もいる。やがて自分もその列車から、いつかどこかの駅で降りるのだと悟る。増えた荷物を列車に全部おいて、ひとりだけで。

 

 

思うままにならない挫折は深みのある色合いとなって、人生に彩りを与える。その色合いを自在に使い分け、車窓の風景に倣って自分だけの絵を描く。「いい人生」を楽しむとは、そういうことなのだろう。

 

 

(了)