To the mentors of the future

不透明な時代を生きるための透明な自己肯定感を得る

「自己肯定感」を身につけるには

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あれはちょうど、時代が昭和から平成へと移りかけたときだった。留学の準備のために英語学校に通っていた私は、ニューヨークの大学院出身のネイティブスピーカーの講師から英語を教わっていた。

 

 

彼の表情は温かい知性で埋め尽くされていた。落ち着き払った仕草の中に、親しみやすい優雅さが覗いた。トレードマークのホワイトシャツと褐色の肌の精悍なコントラストは、場の空気を支配する力を持っていた。

 

 

ある日、一人で昼食を取っていると、正面に彼が座った。 “Hi, how are you doing?”のお決まりの挨拶から会話が始まり、授業の感想からアメリカの大学生活まで話が及んだ。私は思いがけない英会話の機会に気持ちが高揚したが、彼にとっては当たり障りのない退屈な話だったのかもしれない。不意に彼はこう尋ねた。

 

 

“Anyway, what is your philosophy?”

「ところで、あなたの哲学は何ですか?」

 

 

自分の哲学を持たない人間は自分がない人間である。自分がないということは自分の人生を生きていない。世間や自分が属するコミュニティの価値観のレールの上を他人に歩かされている−−。

 

 

当時19歳だった私は、ごくありきたりで常識的な知識をぼんやりと抱えながら、その常識とそれなりに距離を置いていただけだった。ゆえに「あなたの哲学は?」という核心を突いた質問に対し、剣先で喉を突かれて息が止まったように返答に窮した。

 

 

すると彼は白い歯を見せてこう言った。「あなたが哲学を持っている人間なのはわかります。しかし、それを言葉にする努力が必要です。そのためにあなたは英語を学んでいます。哲学は言葉になって哲学になるのです」

 

 

あなたの哲学は何か。日本でそんなことを質問すれば、ほとんどの相手は鼻白むか、うろたえて目線をそらすだろう。最後は曖昧に首を振りながら、変わり者に向けるような目線を向けるのも容易に想像がつく。

 

 

しかし日本でも、哲学を持ち言葉として発信した人物は多く存在する。例えば松下幸之助や本田宗一郎や安藤百福は言葉としての哲学を持っている。その経営哲学は人生哲学の延長線上にあるものだ。生き方や人間としての在り方を求める人生哲学があり、それを経営に応用している。これは何も経営に限った話ではなく、野球哲学や音楽哲学という表現もあるように、哲学があってはじめて「その道」を美しく歩くことができる。

 

 

日本に哲学が根付かなかった理由は明白だ。日本は「ムラ」と呼ばれる閉鎖的な同質コミュニティで構成されてきた。日本そのものが日本ムラと呼ばれるゆえんでもある。ムラだけに通用する世間知を獲得して、そのムラコミュニティの人間関係の中で、他人の顔色を伺い、そのコミュニティの中だけで通用する評価を得ることが重要だった。

 

 

ムラはその構成員に対して受動的な感性を強制する。自分よりもムラの維持が優先されるため、哲学は邪魔なものだった。構成員の考えはムラ全体の考え方を焼き直したものであり、その人の人生哲学に根ざしてはいない。彼らの言葉に中に、その人固有の哲学の残り香を嗅ぎ取ることができないのはそういうわけだ。

 

 

体験や知識から物事の本質を絞り出し、言葉によって形にしたもの。それが哲学であるということを、人生の早い時期に“Anyway, what is your philosophy?”から教わったのは幸運だった。

 

 

狭いコミュニティのヒエラルキーに敏感になると、真善美に照らして物事を判断する感覚が一層麻痺する。善悪の判断はムラを維持するために必要だが、真と偽、美と醜が見分けられなくなる。そもそもムラの中にその四つの言葉が存在しない。とりわけ、美と醜の感覚は飛び抜けて鈍い。

 

 

美醜とは美意識に根ざしている。美は哲学の根本を支える最も重要な感性だが、同質のムラ社会では美は不要とされてきた。日本では「美」というと、美人とか美男という視覚的判断にとどまる。そのため、美意識が育たない。言葉がムラのルールと自分のこだわりと感情を伝える道具になっている。それはまるで出がらしのお茶のように薄く、煙草の煙のようにいがらっぽい。

 

 

バブルのときに、10代や20代前半の女性がこぞってシャネルを身につけたことがあった。シャネルというステータスを買って、自分が属するムラの中でマウントを取るためだった。ココシャネルの本意でもない、その哲学にもそぐわない振る舞いに対して、同世代のフランス人女性たちの突き放したような冷笑が忘れられない。

 

 

美しい考え方、美しい物事の見方、美しい言葉。ムラ社会からすれば鬱陶しい哲学に映る。それを排除しようとするか、ムラのやり方に染めようとするか。日本は都市化とムラ社会という相容れないものが並存し、双方の負の部分が噴出している。それが今の閉塞感の原因のひとつであることを理解したうえで、目に見えない美しさに鋭敏な感性を高める。

 

 

この美意識が自己肯定感を育む。真の意味で美しいものを知らない人間に、自己肯定感は宿らない。

 

 

“Anyway, what is your philosophy?”

「ところで、あなたの哲学は何ですか?」

 

 

これに対して即座に返答できる自分の言葉を持ったとき、仕事や家庭や人間関係が肯定的に反転する。もちろん、そのことに難しいと背を向ける自由も、できない言い訳を探して自分を守る自由もある。しかしそれらの自由は悲しいほど美しくない。

 

 

(了)