To the mentors of the future

全世代の「教育力」を高める教育コーチのブログ

発達障害、大人と子ども

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以前、とある知り合いから次のような質問を受けた。

 

 

「親戚の教員が、明らかに発達障害と思われる子どもが増えているという言うんです。先生は30年間子どもを教えていますが、どう思われますか?」

 

 

「増えていますね、確実に。同時に、大人の発達障害も増えていると感じます」

 

 

「大人の発達障害、ですか?」

 

 

「ええ、発達障害という言葉が認知されたことで、発達障害が増えたという側面もあると思います。しかし、特にここ15年、社会人や親を見ていると、大人の発達障害ではないかと疑われる人は増えたように思いますね」

 

 

長く教育現場で仕事をしている方々が、発達障害を抱えた子どもの増加を実感しているという話をよく耳にする。発達障害という言葉の広がりに比例して、その認知度が高まったという側面もあるだろう。増加の確証に至るだけのエビデンスが、統計学的にも医学的にも集められていない。

 

 

数年前、発達障害の子どもが9万人を超え、20年間で7倍増加しているという文部科学省の調査報告書が発表された。ストレスという言葉が日本に輸入される以前、ストレスは存在しなかったという構造と似ている。

 

 

しかし、同じ年齢の子どもを何十年も定点観測で教えている方々の現場感覚を無視することはできない。科学はいつも現象の後追いだった。

 

 

子どもはやがて大人になる。定「点」観測していた子どもが大人という「点」になる。その二つの点は「線」となる。発達障害を疑った子どもが、社会人となり、親になる。私は幾つもの「生きづらさ」を目の当たりにしてきた。

 

 

子ども時代に発達障害やグレーゾーンと診断された子ども。診断されなかったが、大人になってから診断された子ども。ある診療機関では発達障害やグレーゾーンと診断されなかったが、他の診療機関では認定された子どもや大人。

 

 

私は全ての組み合わせを見聞きしてきた。発達障害の診断は、診療機関の医師の力量次第で大きく変わる。発達障害はゲノム解析によって診断を行うわけではなく、経験則やチェックリストに当てはめて診断する。医師自身に高度な非認知能力が求められるため、力量に差がつきやすい。

 

 

子どもにせよ、大人にせよ、発達障害の診断を受ける理由はひとつである。それは「生きづらさ」の軽減だ。「生きづらさ」の原因が判明すれば、対処策を講じることができる。見方を変えれば、言動に発達障害の兆候が覗いていたとしても、自己肯定感が高く、充実した毎日を過ごせている人は診断の必要がない。

 

 

その逆に、発達障害の疑いが見当たらなくても、「生きづらさ」を感じやすい自己肯定感の低い子どもや大人は、発達障害を抱えた人と同様の困難さの線上を歩いているとも言える。

 

 

子ども時代に発達障害の疑いがあっても、自己肯定感が強かったり、人から好かれる才能がある子どもの未来は楽観視している。しかし、その子が大人になったとき、社会的または家庭的に「生きづらさ」を感じている未来が容易に想像できるとき、私は定点観測から、「線」の観測に切り替える。

 

 

発達障害の傾向の中で、コミュニケーション能力の低さは「生きづらさ」と強い関連性がある。しかし、それ以上に私が着目しているのは、自己認知力の低さだ。

 

 

自己認知力とは自分の現在と未来に対する客観的観察ともいえる。この力が不足すると、「やりたいこと」と「できること」の乖離を生む。周囲の評価を覆し、大きな挑戦に成功する例は似ているようだがまるでちがう。自分の可能性と潜在能力を的確に自己認知している点で全く異なる。

 

 

「やりたいこと」と「できること」が大きくずれている人、現実離れした願望を持っている人には、「ありのままの自分に対する錯誤」が根底にある。

 

 

人は複数の「あり得る未来」のゆらぎの中で生きており、意思決定によって最善の未来も最悪の未来も選ぶことができる。しかし、自己認知力の低い人は、「あり得る未来」以外の未来を望むために、「生きづらさ」を抱えて苦しむ。

 

 

「あり得ない自分」を自分だと思い、「あり得ない未来」に向かって自分を進める。そのずれによって生じる現実との軋轢に、「本当の自分」が耐えきれなくなる。

 

 

それが「生きづらさ」の正体である。その自己認知能力の低さは、認知能力の低さにも繋がる。自己に向けていた低い認知能力を子どもに向ければ、「あり得ない子ども」を本当の子どもと取り違え、「あり得ない子どもの未来」に向かって子どもを進める。

 

 

現実離れした親の願望に「本当の子ども」が翻弄され、「本当の子ども」が耐えきれなくなる。「親がやらせたいこと」と「子どもができること」はちがう。「生きづらさ」はそうして生まれる場合も少なくない。

 

 

「生きづらさ」は常にネガティブな感情を優位にする。ネガティブな感情は周囲に感染する。親であれば子どもに感染する。親のネガティブな感情を浴び続けている子どもは自己肯定感が低くなる。それは下の世代へと感染し、引き継がれる。

 

 

それを断ち切れるかどうか。「幸せになる」とはそういうことでもある。

 

 

(了)