To the mentors of the future

不透明な時代を生きるための透明な自己肯定感を得る

続・どうすれば子どもに幸せを教えることができるのか

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「子どもが幸せになる」とはどういうことなのだろう。「幸せを与える」と同じことなのだろうか。親が思う「幸せ」を子どもに与えれば、本当に「子どもが本当に幸せになる」のだろうか。

 

 

その問いかけに対して、言い澱みがなく返答できるとしたら、その親は幼少の頃から物事の本質を考える習慣が身についている。その習慣を子育てに応用することで、子育ての軸を作り上げている。学校の勉強ができるだけでは、この問いを思いつくことも、その答えを見つけ出すこともできない。

 

 

この問いかけは「子育ての核心」そのものである。子育ては人育てであるという認識を得た親が次にたどり着くステージでは、この核心に対する答えを探すことになる。数学や英語の問題のように、基本問題をクリアして待ち受けるのは応用問題。子育ても何ら変わりはない。

 

 

勉強やスポーツや遊びといった人生の一部には人生の仕組みの全てが含まれている。子育ても例外ではない。むしろ、子育てはそれまでの親の人生の集大成ともいえる。しかし、自らの集大成に自信を持つ人間はそれほど多くないかもしれない。どこか引け目やコンプレックスを抱えてる人間の方が普通だろう。

 

 

しかし、子育てや人育ては、ある程度の自信のなさやコンプレックスがあった方がうまくいく。むしろ、成功体験ばかりの親は、あまり子育てや人育てがうまくない。彼らは完璧な子育てを目指す傾向にあり、それが親と子どもの双方に傲慢な歪みが生じさせてしまう。

 

 

この世界には完璧なものなど存在しないように、完璧な子育てなど存在しない。その道理を無視する「完璧な子育て」は、親戚から誉められ、友人や世間の羨望を集める承認欲求を満たす感覚と混同されることになる。自らの成功体験の延長線上に子育てを捉えているのだが、その時点で本質を外していることに気づかない。

 

 

一方で、自信のなさやコンプレックスを埋め合わせるための子育ても違う。それもまた、親の人生の延長線上に子育てを捉えている点で、子育ての本質から外れている。間違った動機や勉強方法で勉強する子どものように、いつまで経っても親としての力が伸びない。

 

 

受験生には偏差値が存在する。子育てにとって過不足ない環境を子どもの用意できるという前提を踏まえた上で、親に偏差値のようなものがあるとすれば、それは「謙虚さ」の度合いだろう。謙虚さが親の「格」を決める。

 

 

子育てに関する知識や情報も必要最低限で事足りる。飽和した情報も込み入った親同士のネットワークも親の「格」には関係ない。自分の未熟さや過ちを認める親の謙虚さが、子どもの信頼と安心を呼び起こす。謙虚さは成長のシグナルであり、親の謙虚さを見せられた子どもは、親の成長を予感して安心する。

 

 

自分の非を認めない親は子どもを絶望させる。それは成長を放棄したというシグナルだからだ。成長と変化を拒む人間と親子関係を続けていかなければならない子どもの暗澹たる気持ちを、子どもの幸せと自分の幸せの区別ができないステージにいる親は慮ることができない。

 

 

親としての「格」を上げるためには、謙虚さの度合いを高める必要がある。人間や人生に対して真摯に全力を尽くして取り組めば、思い通りにならないこと、そもそも思い通りになるはずもないということがわかる。その認識こそ、謙虚になるきっかけとなる。

 

 

そのステージへ辿り着いていないということは、その認識を得るだけの経験をしてこなかったのか、認識する力がなかったと思われても仕方がない。それすらも見抜く力を持った子どもたちが現れている。もはや親の「格」を隠し通すことができない時代が到来していることを認識した方がよい。

 

 

もはや親が親であるというそれだけの理由で子どもに意見を押し付け、人生をコントロールできる時代ではない。それすらも虐待だと子どもが認識するときが、すぐ目の前までやってきている。

 

 

人生100年時代。子どもが成人するまでのわずか18年の間に、親の小さな承認欲求を満たすため、子どもの信頼を損なうような子育てを行い、そして親は老いる。その後、子育てよりも長い時間、子どもから世話を受ける立場になる可能性も小さくない。

 

 

そのときに、子どもは親にどんな思いで接するのだろうか。親の幸せが子どもの幸せという前提で育てられた子どもは、懸命に子育てしたという親に対して何を思うだろうか。

 

 

そんな将来の不幸な齟齬を回避するためにも、謙虚さを手にいれるような努力をした方がよい。大人の未熟さを嫌というほど見せつけられて育った今の子どもたちの信用を得るには、謙虚な人間性を示し続けるしかない。

 

 

(了)