To the mentors of the future

不透明な時代を生きるための透明な自己肯定感を得る

親になるための必修科目 〜これから親になる人が身につけるべきたったひとつの資質〜

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私は親を対象とした子育てのコーチングやコンサルティングも行っている。コーチングは問いかけによって「答え」を見つけてもらう方法であり、コンサルティングは相手に最適化した「答え」を示す方法である。

 

 

母親ひとり・父親ひとり・夫婦揃っての三つの形態のいずれかであるが、最近は夫婦揃って相談を受けるケースが増えた。私が中立の立場で双方の見解を聞きながら、夫婦の考え方の溝を浮き彫りさせる。それぞれの立場を行き来しながら複数の視点を提示して、少しずつ溝を埋めていく。

 

 

夫婦揃って一度に対応できるという効率性は当然として、このケースの解決が最も早い理由は、夫婦間における溝の存在を認識して解決に努めようとする姿勢にある。溝の存在を認識しない、認識していても放置するという家庭と対照的に謙虚さがある。

 

 

もともと人生観や世界観は人によって異なるため、その上に成立している子育てに対する考え方も違ってくる。自分と同じ人生観や世界観に惹かれて結婚した場合を除き、それ以外の場合は早い段階からの「すり合わせ」が必要になる。

 

 

私は結婚を考えている教え子に「すり合わせ」の重要性を執拗に説くのは、「すり合わせ」が早ければ早いほど、夫婦間での溝は小さく、子育てはうまくいきやすいからだ。

 

 

昭和の時代は専業主婦のワンオペ子育ての家族モデルがスタンダードだった。家事と子育ては妻、仕事は夫。その役割分担が高度成長時代を支えてきた。現在の親世代は、そのような親の姿を「常識」として受け入れて育ってきた。

 

 

しかし、バブル崩壊後の失われた10年から社会構造は一変した。夫婦共働きが一般的となり、家庭外で女性が力を発揮し、自己実現を求めようとする流れが生まれた。時代の流れを読み違え、昭和の構造から抜け出せない家庭は、仕事だけの夫、仕事とワンオペ育児を抱える妻というバランスの崩れた状態に陥っている。

 

 

「子育て=妻の役割」という常識をひきずったまま社会構造の変化を認識できない夫は、「子育ては妻に任せている」という信念を装った「子育ての丸投げ」を行い、年に何回かの旅行やイベントで「贖罪する」ことになる。

 

 

しかし、社会変化を敏感に察知して、積極的に子育てに参加するようになった夫も増えてきた。現在の三十代に多く見受けられ、子育ては夫婦の共同行為という意識が高く、対話によって解決の道を模索する。夫婦揃って私の子育てコンサルティングを受けるのは、この世代の親たちが大半だ。

 

 

ここまで夫婦を前提として話をしてきたが、シングルペアレントを私のコンサルティングから排除するものではない。それぞれのアプローチが異なるため、分けて論じたに過ぎない。むしろ、これからは時代に応じた生き方の主流としてシングルペアレントが増加の一途をたどることになるだろう。

 

 

共働きが夫婦共同参画の子育てを促したように、シングルペアレントの増加が、子育てのあり方を地域を巻き込んで肯定的な方へ変化させていくだろう。そうならざるを得ない。

 

 

とは言え、現代のシングルペアレントは子育てにおいてリスクを抱えているのは間違いない。しかしそのリスクは、ワンオペ子育ての主婦と同じリスクであることに注目したい。

 

 

そのリスクとは、「一人だけの世界観と人生観だけで子育てを引き受けるリスク」のことだ。

 

 

質の高い子育ては家庭の文化の上に成り立っている。子育てがうまくいっている家庭の多くは、意図するしないにかかわらず、家庭に文化が育っている。文化とは複数の世界観と人生観を「吸収合併」または「新設合併」することによって生まれるものだ。子育てが上手な家庭は、この構造が出来上がっている。

 

 

この点、シングルペアレントは自分ひとりで家庭の文化を構築しなければならない。ほかの人生観や世界観に自力で触れ吸収する必要があるため、夫婦の家庭とは別の「子育てチャンネル」を探す状況が生じる。

 

 

未熟な世界観と人生観を融合させ、成熟した家庭文化を築き、その上に子育てを位置付ける。それが達成できている成熟した家庭には、「子育て=人育て」であるという共通認識がある。人を育てるためにはどうすべきか。子育てに対する考え方の原点が明確なので、多少のことではぶれない。感情的になっても、不安になってもそこに戻ることができる。

 

 

家庭文化を築いた子育ての優れた点は、子どもの人生を長期スパンで考える「子どもための子育て」である点はもちろん、親の不安や感情の乱れも最小限に抑えられることができる点にある。

 

 

家庭の文化とは「子育ての基礎」であり、ある意味で基礎力が高い子どもが応用問題を解けるのと同じだ。家庭に文化がある家庭は子育てが思い通りにいかない場面でも、感情の赴くままの思いつきの子育てに終わらない。

 

 

子育てが親の人生観と世界観の反映であるのは疑いようもない。個人差はあるが、自我が芽生える中学生あたりになると、世界と自分、人生と自分を意識し始めるようになる。そのときすでに「親になる」基礎づくりは始まっている。

 

 

私は教え子がそのくらいの年代に差し掛かる頃に、授業や雑談の中に「親になる」ためのヒントを忍ばせて、人生観や世界観の枠組みづくりに手を貸してきた。

 

 

一方で、結婚を考えているカップルや子どもを持ちたい社会人に対しては、個別に、または講演会や研修で「親になるための必修科目」としての人生観と世界観について話す機会も多い。

 

 

少し前、かなり核心を突いた質問をされたことがある。子育てが上手な親とそうでない親との違いを簡潔に教えて欲しいとのことだった。穏やかな表情から垣間見えた解決力の高さに思わず口角が上がった。

 

 

子育てが上手な親は、シンプルであることと、浅いことの区別がついている。人生と同じく、子育てもシンプルだ。しかし、浅くはない。シンプルだが、深い。

 

 

それに気づいているかどうか。もう少しで気づきそうか。気づくとすれば、どのタイミングか。子育てコンサルティングの方向性を決めるいつもの基準を思い浮かべながら、話を進めた。

 

 

人生観と世界観は、親になる前に人生や世界や人間や物事の構造と深さを漠然と認識するための「必修科目」でもある。浅薄な無知は傲慢さを呼び込む。無知と傲慢さが、思い通りになるはずもない「個」としての子どもを思い通りにしようとさせる。

 

 

「深さ」を知ることで謙虚さが生まれる。その謙虚さこそ、親としてのスタートラインであり、これから親になる人が得るべきたったひとつの資質である。その謙虚さの器が、親子関係を通じたさまざまな体験や知識をすくいあげ、親としても人間としても成長を遂げていくことになる。

 

 

これから親になろうとする人は、まずそのことを知って欲しいと思う。

 

 

(了)