To the mentors of the future

不透明な時代を生きるための透明な自己肯定感を得る

人間的魅力を身につける大人の学び

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ついこの間、年が明けたと思ったら、もう師走。

 

 

時は急ぐように過ぎていく。

 

 

小一だった生徒は高三生となって最後のセンターテストに臨む。12年間、彼はずっと素直な生徒だった。少なくともわたしの前では。

 

 

そのわかりやすい素直さゆえに、その学力が右肩上がりで伸び続けることは早い段階で読み取ることができた。

 

 

その素直さゆえに、興味の新芽は常に萌芽していた。天体に興味を持ったら、とことんまで調べた。理系には珍しく、哲学にも関心があった。わたしの雑談を食い入るように聞き入った。

 

 

わかりやすい素直さもあれば、わかりにくい素直さもある。

 

 

言うことを聞かない生徒は素直ではない、とは言い切れない。表向きは素っ気ない態度を装っていても、こちらが発した言葉を心に留め、密かに認識を広めていたりする。

 

 

素直に人の言うことは聞くことは格好悪い。「勝気な美意識」は素直でないという印象を周囲に与え、誤解されることが多い。人より深く孤独を感じてしまう。その美意識ゆえに素直さを隠し、素直でないふりをする。しかし、芯は素直だ。

 

 

学校時代に「素直さ」と呼ばれた資質は、大人になると「謙虚さ」と呼ばれるようになる。

 

 

子どもの素直さのように、大人にもまた「わかりやすい謙虚さ」と「わかりにくい謙虚さ」がある。

 

 

もちろん、素直さを装う子どもがいるように、謙虚さを装う大人もいる。むしろ、素直さを装う子どもの一直線上の未来に、謙虚さを装う大人の姿がある。

 

 

素直さと謙虚さは柔らかい。その柔らかさに触れたくて、人が集まる。いつでも認識を変える用意があるというシグナリング。素直さと謙虚はその役割も果たしている。

 

 

謙虚でない大人は、自分の認識を変えない。自分の認識を変えようとするものを排除しようとする。ときに自分の経験がもたらした教訓さえも受け入れず、小さくて手垢のついた「認識の窓」から外の世界を見ている。

 

 

その小窓から見える風景を世界の全てだと疑わず、その風景を前提として周囲の人々と接するため、その人の姿は他の人の目に魅力的に映らない。

 

 

大人になって何を目指せばいいかわからないという声を耳にする。

 

 

魅力的な人間を目指すことを勧める。それで大人としての大半の問題は解決する。シンプルなことだ。

 

 

そのために「認識の窓」を広げる。

 

 

認識を高め、深めてくれる人に囲まれながら、「認識の窓」を広げることだ。それが大人の学びの目的である。

 

 

五感の刺激で楽しむ子どもの感性のまま大人に向かう。それが未熟な大人を生んでいる。人生の課題はその未熟さで解けないように作られていることに、いつ気づけるかどうか。

 

 

成熟とは五感の刺激を楽しむステージから、認識するステージへとシフトすることを指す。やがて、認識を楽しむステージと移る。その余裕が「魅力」を醸し出す。

 

 

 

(了)