To the mentors of the future

不透明な時代の生き方を探すライフコーチング

「コロナ後」の教育と子育て

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——西暦2020年。東京オリンピックが開催されるはずだったその年、中国から発生した未知のウイルスがパンデミックとなって世界中に拡散。ワクチンの開発が追いつかず、各国で感染者と死亡者が急増。各国で非常事態宣言が次々と発令され、空港が閉鎖。都市が機能を失い、株価が急落。ドイツの首相は第二次世界大戦以来の国家の危機と演説し、イギリスの首相は外出禁止命令を発令。人類は未知とのウイルスと臨戦体制に入った。

 

 

15年前、このようなパラレルワールドをテーマにした小説が発売されたとしたら果たして売れただろうか。リアリティに乏しい設定という批判の声も多数あがったに違いない。

 

 

しかし、ご存知の通り、これは現実だ。世界全体が未曾有の大混乱に陥っている。

 

 

日々、メディアを通して流れる映像や情報は、近未来を描いたパニック映画と錯覚するほどのインパクトを伴い、こちらの現実へと流れ込んでいる。フィクションがノンフィクションと入れ替わるときの地鳴りが聞こえるようだ。

 

 

9.11と3.11以来の感覚。リアルタイムで世界史が書き換えられている。

 

 

3.11の東日本大震災のあと、「震災前」と「震災後」という新しい認識が生まれた。2011年前後の出来事を思い出し、相手に確かめるときに、震災を基準とするようになった。震災は人々の意識の中に新たな時間軸を生み出すほどの変化をもたらした。

 

 

変化というにはあまりに巨大なインパクトが起こっている。新型コロナウイルスを封じ込めるワクチンが開発され、この事態が表向きに終息しても、インパクトによって変形した価値観はそのまま一定の層の人々によって引き継がれることになる。

 

 

常に安定して揺るぎないと思われた世界や社会はことのほか脆く、瞬く間に弱点を浮き彫りにした。この社会は積み上げられたジェンガのように不安定であり、たった数個のピースを抜き取るだけで、今にも崩れ落ちそうなほど揺れる社会であることを知った。

 

 

構造的な余裕のなさと変化に対する弱さを見せつけられている。

 

 

震災のときもそうであったように、一定の層の人々はこの事態から何かを学ぼうと懸命になっている。そこから「コロナ後」の時代を予測して、子どもの教育や子育てを見直そうとしている。

 

  

歴史や文明の流れを見れば、新型コロナウイルスが最後の巨大インパクトであるとは考えにくい。「コロナ後」の世界ではテクノロジーの発展も手伝い、従来の常識や安定を揺るがす破壊的変化が訪れると考えるのが自然だろう。

 

 

今後は一層、非認知能力の重要性が叫ばれることになる。社会の仕組みや価値観が揺らいでも、自分を見失わず、むしろその変化を楽しむような人間がこれからの時代は求められる。

 

 

自分のやりたいことを見つける力。和して同ぜずを体現する力。しなやかな心を作る力。自分自身と向き合う力。

 

 

変化に特化した非認知能力を子どもに身につけさせるためには何をすべきだろうか。何ができるだろうか。一定の層の人々は思慮深い眼差しで、日常に対応しながら「コロナ後」の時代を見据えている。

 

 

変化に動じず、むしろ変化を創造的機会と捉える精神と知性を持った人々が高い評価を受けることになる。実際、すでにそのような人材をリーダー候補として採用している企業は多い。認知能力だけが高い人間は、変化の時代では脆弱さが剥き出しになる。その姿は現在の社会と重なる。

  

 

「コロナ後」の時代を、子どもたちがどのように生きていくのか。次に訪れる巨大なインパクトをものともせず、自らの人生を楽しめる人間として育てるために何ができるのか。

 

 

教育や子育てにおいても、目を背けられない変化の時代が訪れている。

 

 

(了)