To the mentors of the future

全世代の「教育力」を高める教育コーチのブログ

成功体験の罠

成功の壁となるのは、過去の成功体験であることが多い。

 

 

私が会社を経営していた頃、何度かこの「成功体験の罠」に陥った。一度上手くいったやり方にしがみついてしまい、同じ方法を採ってしまうのだ。

 

 

ある方法の考え方が正しいからと言って、必ずしも通用するとは限らない。成功とは、時の状況も含め、さまざまな要因に左右される。現実は常に「正論」を受け入れてくれる訳ではない。

 

 

成功した時と似たような環境であっても、ほんの少し状況が変化するだけで、以前の通用したやり方は通用しなくなる。

 

 

プロスポーツでも同じような例を見ることができる。超一流と呼ばれる投手でも、登板した全ての試合で勝利投手になることはほとんどない。その日のわずかな調子の差が、ピッチングにも影響を及ぼす。一週間前にはできた完璧なピッチングが、一週間後もできるとは限らない。

 

 

取り巻く状況は、これほど人間に多大な影響を与える。朝起きがけと就寝前、空腹と満腹といった状況でさえ、物事の感じ方や捉え方は異なる。人間は思っている以上に流動的な存在かもしれない。

 

 

もちろん、成功体験には「成功の理由」がある。とりわけ、努力や誠実さのような「徳」と通じる「成功の理由」は、状況を超えた普遍的な力を持つ。しかし、自分が経験から得た方法論にしがみつくと、そこから抜け出せなくことがある。失敗の多くは、過去の成功体験に囚われている。

 

 

状況が変われば、もはや自分にとっての成功体験すら自分自身に当てはめることができなくなる。まして、自分以外の他人に自分の成功体験を当てはめさせることは、相手を失敗に導くことに等しいとも言えるだろう。

 

 

成功体験は自信の源であり、貴重なデータでもある。そこから得た教訓を子どもや部下に伝えるのは、形を変えた年長者の「教育」である。

 

 

だが、自身の成功体験を絶対化して、それに服従させようとするのは、もはや「教育」ではない。自己顕示欲や支配欲では、人を育てることはできない。反面教師として、違った意味で「教育」の役割を果たすことになるだろう。

 

 

成功体験が他者の成功に寄与するのは、成功者が「成功体験の罠」から自由になった時だけだ。

 

 

(了)