To the mentors of the future

全世代の「教育力」を高める教育コーチのブログ

「ぶれない」という本当の意味を知っていますか?

頭からつま先まで、自分ひとりがすっぽり入れる巨大な風船があるとしよう。誰もがその中に入っている。それを「自分の世界」と呼ぶ。

 

 

人の数だけ世界はある。この地球上には70億の人がいる。だから70億の「多くの世界」がある。一方、この地球上に存在する全ての国や自然や動物たちを含めた時空間という「大きな世界」がある。

 

 

それぞれの世界との距離が近い人もいれば、遠い人もいる。「自分と関係ない」という口癖は、「自分の世界」が他の世界と離れている時に口をつく。

 

 

「関係ない」は成長の終着点だ。限界点と言ってもいい。その言葉で「自分の世界」は膨張が止まり、器が確定する。

 

 

何のために学ぶのか。その答えはそれほど難しくない。風船のように自分を包んでいる「自分の世界」を広げ、膨らませ、「多くの世界」を自分に取り込み、関わるためだ。それは「普遍性の獲得」とも言えるだろう。

 

 

普遍性とは「多くの世界」が共有する価値観であり知見を指す。「多くの人々がどのように考え、行動するか」という平均を察知することではない。「人は本来どのように考え、行動するか」という中庸を認識することだ。

 

 

平均は母集団を序列化した中点だが、中庸は人間本来の座標軸の原点をいう。「自分の世界」を広げ、「多くの世界」を包み込むほどに膨らませていくと、中庸が見えてくる。そうやって「自分の世界」は普遍性で満たされていく。その普遍性が「多くの世界」を惹きつける。

 

 

限られた時間の中に「学び」は無数にある。もちろん、勉強もそれに含まれるだろう。どんな形であるにせよ、自分の風船を膨らませることが学びである。

 

 

ある学びを選ぶということは、別の学びを選ばないということでもある。「何かをする」というのは「何かをしない」ことだ。仮に多くの時間を学びに費やしたとしても、それが「自分の世界」を広げる学びでないとしたら、何も学んでいないのと変わらない。大切なのは量や時間に溺れるように学ぶことではない。何を学ぶか、いかに学ぶか。考えない学びは「学び」とは言えない。

 

 

中庸を知ると本当の自分の位置が分かる。その時から、ぶれることがなくなる。真の「ぶれない」とは意固地や頑迷さとは違う。「多くの世界」を把握しつつ、中庸に立脚して、物事を考えていくことだ。

 

 

国際的視野や、視野の広さとは「自分の世界」が「大きな世界」に重なり合う時に芽生える。その中に「ぶれない自分」が堂々と立っている。小さな「自分の世界」にのべつまくなしに知識を放り込むことではない。

 

 

(了)