新しい年の始まりは胸躍る。また新しい目標に出会う予感に満ちている。
目指すべき標を目標と呼ぶ。人が標を自ら立てる理由は、そこまでの道程を豊かなものにするためだろう。
刻一刻と過ぎ去る時間を少しでも豊かにしたい。その願いはいつの時代も止むことはない。たとえその目標に届かないとしても、そこに向かって進んだ時間は濃密で空虚さを弾き出す。
何となしに歩き、息切れて足を止めた場所に標を刺して見渡した風景は、寒々としている。ある日、それがひたすら繰り返される映像が頭に浮かぶとき、動けなくなってしまう。
どんな目標も目標になり得る。だが、豊かな時間を創り出す目標を立てるのは、それほど容易なことではない。
目標には「交換できるもの」と「交換できないもの」がある。豊かな時間は、後者を追い続ける時間でもある。「交換できないもの」とは唯一かけがえのないものだ。
目標とは自分を映し出す鏡でもある。かけがえのないものを目指していれば、やがて自分自身がかけがえのない存在になる。
その目標を追うのは他ならぬ自分自身でなくてはならない。その自負が人を強くする。最初はおぼろげな方向しか見えなくとも、前に足を一歩踏み出せば、その分だけ近づいている。それを根気よく自分に言い聞かせる。
過信や低過ぎる自己評価を捨て、思い通りにいかない苛立ちを抑え、不必要に他者や自己を責め立てることなく、心をこめて歩く。それを乗り越えたものが標からの景色を眺めることができる。
豊かな時間を経てたどり着いた標の傍で心が満ちる。かけがえのないもので満たされた心は決して渇くことはない。
(了)