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全世代の「教育力」を高める教育コーチのブログ

purest

I’m the happiest. と I’m happiest.

 

 

見慣れない文だが、いずれも「私は最も幸せだ」という意味を表す。

 

 

一方にはtheがあり、一方にはない。この二つの意味の違いを正確に答えることができたら、ある程度以上の英語力を有している証拠だ。

 

 

本来、英語の最上級にはtheをつけるが、副詞に限ってはつけなくてもよいという例外がある。しかし、実は形容詞の最上級にもtheをつけない場合がある。

 

 

theという冠詞は「特定」を表す。よって、「I’m the happiest.」とは、ある限定された人々の中で「最も幸せだ」という意味になる。ある母集団の中で、最も幸せな人が特定されている。

 

 

それでは、theがつかない「I’m happiest.」とはどんな意味になるのだろうか。

 

 

これはtheがないので他者と比較しているのではない。自分の中で最も幸せな状態を表現している。つまり、他者は不在だ。

 

 

周囲に気を取られてばかりいると足元がおろそかになり、つまずいて転びやすくなる。

 

 

確かにそれも「挫折」の一つとして自分の糧に転嫁することができる。しかし遠視的に見ると、積極的な流れから生じた挫折ではないため、どこか濁った臭いが拭いきれない。そこに教訓や戒めを見つけることは容易だが、純粋さを探すのは難しい。

 

 

挫折から純粋な糧を抽出するには、挑戦から生まれた挫折でなくてはならない。知性ある挑戦は純粋を好み、打算を拒む。

 

 

世間知に長けてくると、易きにつき、小手先の損得勘定に敏感になる。その結果、自分がどこに向かっているのかわからなくなり、そもそもなぜ歩いているのかすら忘れてしまう。

 

 

——世界とはそういうものだ。

 

 

そういう老成したような言葉でまとめるのはたやすい。しかし、それは単なる諦観に過ぎない。諦観とは濁りを甘んじてすする自分への諦めでもある。

 

 

外の世界が濁っているならば、濁りでも泳げる身体を手に入れるか、清らかな水を探すしかない。もし、後者を選ぶなら、その水は自分の器に満たさなくてはならない。それは知性ある挑戦によってなみなみと湛えられる。

 

 

純粋な水を途切れなく注ぎ足す。他人と比べた純粋さには濁りがある。自分の中の最も純度の高い湧水を、日々飲み干す。

 

 

それはtheを戴くことないpurestな水だろうか。

 

 

その自問をためらいなく繰り出し続けるためにも、知性ある挑戦を止めない。

 

 

(了)