質問力という言葉を初めて聞いたとき、「あ、うまい言葉だな」と思った。
質問の内容でその人のセンスがわかる。もっと正確にいうと、その人がどんなフェーズにいて、どこに向かおうとしているのか。それが手に取るようにわかる。
その意味で、質問というのは力そのもの。相手の力量を推し量る力、自分の無知を隠そうとしない胆力、それを相手に伝えて言葉を引き出すコミュニケーション力。それらをひとつに束ねたものが質問力と呼ばれるのだろう。
こういうことを書いていると、印象的な質問がひとつ思い浮かぶ。
「どうすれば本当に人から尊敬され、人を尊敬できるようになりますか?」
当時、その質問者は社会人三年目。たびたび仕事や将来のことで相談を受けていた。「本当に」という部分が気になり、真意を訪ねると、彼はこう答えた。
「立場や肩書きや属性で人を尊敬したり、されたりするのは簡単なことです。でも、その人の人間性だけで他人を尊敬したり、されたりするのは、すごいことだと思います」
何が彼にそんな質問をさせたのか、すぐにわかった。遠くから憧れていた風景も、いざ近くに寄ってみると粗が見える。社会的に尊敬の対象となりやすい職業も肩書きを持つ人も、憧れ以上である場合は少ない。近景は遠景を裏切るものだ。
しかし、彼のすごさは、「所詮そういうもの」という諦めにも似た思考停止で終わらせないところにあった。人から尊敬される方法を探す人は珍しくない。しかし、人を尊敬する方法を考える人は、めったにいない。彼の質問力の大きさは、器の大きさそのものでもあった。
僕は吉川英治の「宮本武蔵」の中で、宮本武蔵が語った言葉を紹介した。
波騒は世の常である。
波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚は歌い、雑魚は踊る。
けれど、誰か知ろう、
百尺下の水の心を。水の深さを。
「本当の意味で人から尊敬される人とは、百尺下の水の心を知った者。または、水の深さを知った者。
本当の意味で人を尊敬できる人とは、百尺下の水の心を知った者。または、知ろうとしている者。水の深さを知った者。または、知ろうとしている者。
だろうね」
そう答えた。
(了)