日本の学生は内向きで安定志向が強いと言われるが、それは意外にステロタイプだったりもする。
留学と起業に関心を示す学生や社会人は一定数の割合で存在する。彼らの目にこのふたつは「冒険」の象徴と映るようだ。
僕は留学と起業のどちらも経験している。
「辛くありませんでしたか?」と訊かれることがある。大変ではあったが、辛いと感じたことはない。いや、当時は辛いと感じたこともあるかもしれないが、今は楽しかった記憶だけがどこまでも広がっている。
「何のために留学や起業をしたのですか?」と訊かれることもある。「楽しそうだったから」と答えることもあれば、「探したかったから」と答えることもある。相手の見識によって答えを変える。真実は様々な形や大きさから成る多面体だから、相手が見やすい面を見せるようにしている。
最も面積の大きい面は、「答え合わせをしたかったから」だ。
「ハリネズミの概念」という有名な考え方がある。自分にとって最高の仕事を決める上での基準として引用される考え方だ。
- 好きなこと
- 得意なこと
- 人の役に立ってお金がもらえること
この三つを満たした仕事が、当人にとっての天職であり、最高の仕事である。そういう考え方の元になっている。
もちろん価値観は人ぞれぞれだ。引き継いだ遺伝子も、生まれ育った環境も違う。自分に合った基準を創り出して、自分に合った職業を探せばいい。
ただ、留学や起業で知り合った人たちは、ハリネズミの概念に薄々気づいていたように思える。気づいていたから留学や起業を志したのか、志したから気づいたのか、それはわからない。
しかし、その時そこにいた人々は、三つの基準が重なる場所を目指して旅をしていたようにも思う。それは最高の自分の居場所を探す旅だったような気がする。
最高の自分がどこかにいるのか、それともいないのか。そのことを確認して、探していたのだろう。
僕にとって、それは三番目に大きい面だった。最高の自分は探すものではなく、なるものだと思っていた。「答え合わせをしたい」という飛び抜けて広い円形の面の上で、次から次へと向かって来る濃密な時間の中を泳ぎ切った果てに、その自分に会えるのだと思っていた。
使命というか、ミッションというか、人は目に見えないそういうものを背負っているのではないかと薄々感じ始めたのは中学生の頃だっただろうか。
留学も起業も目的ではなく手段だった。背中にあるものを確認する手段だった。
(了)