この世界は「鈍感な8割の人々」と「敏感な2割の人々」で構成されている。その「敏感な2割の人々」は、ある心理学者によってHSPと名付けられた。
HSPとは「Highly Sensitive Person」の頭文字を取った言葉であり、「高度に鋭敏な人々」とも「非常に敏感な人々」とも訳され得る。
HSPの人々は過去から現在まで世界中の至るところ、あらゆる文化において存在している。HSPの名付け親である心理学者のElaline N. Aron(エレイン・N・アーロン)によれば、「高度な敏感さ」の発現の多くは先天的な遺伝形質に関係しているという。その度合いや態様は後天的な環境要因によって変化する。
HSPの鋭敏さは察知能力にある。「鈍感な8割の人々」が気づかない刺激を敏感に察知する。音、色、言葉、態度、痛みなどの外部刺激の情報は、瞬く間に繰り返し丁寧に処理されるため、物事に対する感度が自ずと研ぎ澄まされていく。
HSPの人々はあらゆることについて深く考え、物事をより細かく分ける。全米で大ベストセラーになった著書「THE HIGHLY SENSITIVE PERSON」において、アーロン博士はそのように述べている。
またアーロン博士は、HSPという遺伝形質が引き継がれてきた理由とその社会的な役割について、俯瞰的な歴史観にもとづいて興味深い説明を試みている。
現在の世界は、領土の拡大戦略を取り続けてきたインド・ヨーロッパ的価値観に支配されている。それは拡大と競争を是とした攻撃的な現代資本主義社会の源流と解釈できるだろう。そのインド・ヨーロッパ文化においては、かつて王や軍人などの「戦士階級」と、高僧などの「相談者階級」という二つの階級によって社会が統治されていた。
現代の資本主義社会において勝利・名声・成功という「戦士階級」の価値観が主流となっているのも、競争に勝つことが「善」であるとされているのも、インド・ヨーロッパ的価値観に基づいている。
しかし、ときに経営学でred oceanと比喩される攻撃的な現代社会においても、かつての相談者階級に相応する人々が必要とされている。彼らは思慮深く、戦士階級の暴走に歯止めをかける機能を果たし、社会を建設的な方向へと導こうとする。社会のバランサーの役割を果たす。
HSPとはいっても、人それぞれ多様である。しかし、HSPのメンターであれば、メンティたる相談者がHSPかどうかは瞬時に気づくはずだ。HSPの感度によって、言葉を交わさずとも一瞥しただけでわかるメンターも多いことだろう。
企業メンターは、メンターの役割がマニュアル化されている。基本的には誰でもメンターとして指名される可能性があり、後進にメンタリングする方法を学ぶ。しかし実際は、メンターが非HSPの場合、HSPのメンティと噛み合うのは難しい。
HSPの人々の「傷み」の根源は明らかだ。「鈍感な8割の人々」というマジョリティが作り出す鈍感な思考と感性を、「2割の自分たち」が押し付けられてきたことに対する「傷み」に由来する。
非HSPの人々、またはHSPに理解のない人々が自分の上に立つという環境がもたらす「傷み」に苛まれてきたHSPの人々の無言の叫び。子ども時代には親や教師として、社会に出てからは上司として。
非HSPである「鈍感な人々」は、HSPである「敏感な自分」にとってごく自然な考え方や感覚を神経質とか考え過ぎだと一蹴する。HSPにとっては鈍感で強引なやり方と感じる方法、すなわち非HSPの人々特有の頭に響く声と尊大な態度、または鈍い感性と浅薄な思考は、HSPの気力と体力を殊更に削ぐ。
その意味で、メンタリングとは「高度に鋭敏な人々」に強さを与える作法の一つであるとも見える。
(続く)