高度で鋭敏な感覚。
これは普通の人々が感じない情報を瞬時に大量に察知できることを意味する。その感覚(Highly Sensitive)を持った人(Person)はHSP(Highly Sensitive Person)と呼ばれるが、その感覚を普通の感覚の人々(非HSP)に伝えることは不可能に近い。
私がこれまで出会ったHSPと思われる人々は、実に多様な感覚を持っていた。そのほとんどに共通しているのは、言葉を介さずに、出会った相手の素性を判断できる能力だった。それは自分に平穏をもたらす存在か否か、つまり邪心があるか否かを察知できた。
HPSの人々が相手に対して肯定的評価を下す場合、「あたらない人」「心地良い人」「自然体の人」「元気が出る人」「落ち着ける人」のような言葉を用いて表現するかもしれない。その相手もまたHSPである可能性が高い。
一方、HPSの人々が相手に対して否定的な感情を抱く場合、それほど多くの説明は浮かばないかもしれない。数々の不満や不平を掻き分けた中心には、「言葉が通じない人」という太くて硬い芯が覗く。HPSの人々が用いる言葉は、海水面下の深層に流れる言葉であるのに対し、非HSPの人々は海水面上に飛び交う言葉である。左手と右手の高さを違えて拍手するように、双方の言葉は噛み合わない。
非HSPのメンターがHSPのメンティを相手にする場合、その構造を認識する必要があるだろう。自分の言葉がHSPのメンティには届いていない可能性を残しておく必要がある。それほどHSPの人々と非HSPの人々の言葉は質が異なる。
社会の中では非HSPの言葉が「共通言語」となっているため、HSPの人々は自分の言葉をしまいこみ、「共通言語」を用いている。非HSPのメンターはそのことを認識する必要があろう。自分の言葉にメンティが合わせてくれているという自覚は欠かせない。
非HSPの人々は物事の「海水面上」に起こっている風の強さ、風向きや、波の高さに目を向け、頭で考えて感じる。しかし、HSPの人々は、「海水面下」の海流の動き、速さ、海底地形、魚影の濃さを、心で考えて感じる。非HSPの人々は水面下に広がる深海の世界を想像できないが、HSPの人々は水面から顔を出して確認することができる。
そのような「特別な能力」のせいで、HSPの人々は組織や集団の中では浮いた存在となりやすい。とくに仕事においては、多数派である非HSPの人々によって醸し出される社風の風向きを乱してしまう。HSPの人々たちが持つ「見えないものが見える力」は非HSPの人々にとっては厄介であり、とくに日本においては「和を乱す」存在として疎まれる。
HSPの人々は「見えないものが見える」ことによって孤立する。非HSPの人々にとって「見えないものが見える」ことは理解の範疇外であるため、そこに大きな溝が生まれてしまう。その深い溝を前に、HSPの人々は黙することとなる。その結果、HSPの人々が背負う評価は「神経質」「何を考えているかわからない」「付き合いづらい」「変わり者」となってしまう。
HSPのメンター対HSPのメンティ。この理想的な関係が築かれた場合、理解者を得たメンティはそれまで誰にも語ったことない心の内をメンターに語るかもしれない。裏返せば、その時点でメンティはHSPが確定する。HSPのメンターもまた、幼なじみと出会ったような喜びに満たされるだろう。
しかし、それで終わってはいけない。メンターは勇気をもって、HSPのメンティに対して、「リスクから逃げない」必要性を説かなくてはならない。リスクから生じる逆境に自らを置くことによって、「高度で鋭敏な感覚」に振り回されている状態から、それをコントロールする術を学ぶことができるからだ。非HSPの「鈍感な強さ」に対抗するために、HSPは「鋭敏な強さ」をまとうことが求められる。
その意味で、HSPのメンター自身が「高度で鋭敏な感覚」をコントロールできなくてはならない。次回はその具体的な方法について書いてみたい。
(続く)