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全世代の「教育力」を高める教育コーチのブログ

あなたの情報は3つですか? それとも300ですか?

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HSPの人々は言葉にとても敏感だ。この世界の尺度となる定規の目盛りを、HSPの人々は細かく刻む。メートル単位の定規しか持たない人間と、センチ単位の定規を持つ人間では、世界の見え方や感じ方はまるで違う。

 

 

メートル単位の定規しか持たない人間にとって、3mの木材は「3つの情報」に過ぎないが、センチ単位の定規を持つ人間にとっては、「300の情報」になる。「3mの木材」を「1m×3の木材」と考える人間と、「1cm×300の木材」と考える人間では、見えている世界はまるで違う。

 

 

「木材」を「言葉」に置き換えてみよう。相手が放つ言葉から「3つの情報」だけを読み取る人間と、「300の情報」を読み取る人間に大別され得る。それは翻って、同一の言葉で相手に何かを伝えようとする二人の人間がいる場合、「3つの情報」を相手に伝えようとして使う人間と、「300の情報」を相手に伝えようとして使う人間に分かれることを証明している。

 

 

そんな両者が互いに「言葉」を交わす際に生じる認識のズレを「齟齬」や「誤解」と呼ぶ。HSPの人々が言葉に込めた「300の情報」を、非HSPの相手は「3つだけの情報」に変換して解釈し、言葉にして返してくる。HSPの人々は齟齬や誤解を察知しているものの、訂正せずに話を合わせていく。説明しても理解されないことを知っているからだ。幼少の頃から続く習慣と言っていいだろう。諦めと慣れの間を泳いでいる。

 

 

しかし、相手から放たれる「3つだけの情報」の言葉を、無意識のうちに心で「300の情報」に変換することだけは、いつまで経っても慣れない。世界と言葉を膨大な情報へと細分化し、絶えず心で考える。それゆえ非HSPの人々がHSPを評する「考えすぎ」という表現は正確ではない。HSPの人々が望むと望まざるとにかかわらず、情報は自動的に彼の心になだれ込み、慣れることのない神経の高ぶりに疲労する。

 

 

HSPの人々は良心的である。それはHSPの特徴の一つであるが、その原因は膨大な邪念の情報に耐えられないからだろう。3つの邪念なら耐えることができたとしても、300の邪念を平然と受け流すことはできない。HSPの人々は他者の邪念に心を撹乱させられる苦しみを実感しているため、自身の振る舞いは良心的となる。他者の傷みを知るにあたり、経験と想像力に頼る非HSPの人々とその点が決定的に異なる。

 

 

言葉の数は解決力に比例する。言葉を持たない人間は物事を解決できない。物事を言葉で分解し、その一つ一つに言葉を名付けることで、絡まった紐を未来に向けてほどく。一方で、HSPの人々は高度に鋭敏な感受性によって言葉を「300の情報」へと細分化し過ぎるため、その一つ一つを名付ける言葉を持たない。刻んだ感情は常に言葉の数を上回ってしまう。

 

 

そのためにHSPの人々は芸術に親しみを抱く。芸術は言葉で表現できない感性の発露である。それが彼らを惹き付け、感銘を与える。

 

 

HSPの人々が心を許す友人は少ない。その友人は二つの類型に分類されるだろう。一つは自分と同じHSPの友人。もう一つは、大らかで邪念のない友人だ。この場合の邪念とは、積極的邪念だけではなく、消極的邪念も含む。HSPの人々はエゴの蓄積に邪念を見出す傾向にある。私はそれを消極的邪念と呼ぶ。HSPの人々は過剰なエゴの集積である「消極的邪念」を受け付けない。争いを好まない原因もこの点に求められる。

 

 

前回、HSPのメンター自身が「高度で鋭敏な感覚」をコントロールできなくてはならないと書いた。それは友人の類型の一つである「大らかさ」を取り入れることから始まる。「高度で鋭敏な感覚」と正反対の資質によって、傾いたシーソーは水平に戻る。「大らかさ」とは良い意味の「だらしなさ」であり「ずぼらさ」である。

 

 

この「大らかさ」は完璧主義と対立する。恐らく、完璧主義のHSPは存在しないだろう。「高度で鋭敏な感覚」に従いながら、「300の情報」を完璧に外部にアウトプットしていくのは不可能だからだ。実社会において、現実的に精神がもたない。

 

 

見方を変えると、非HSPの人々だけに完璧主義は宿る。細分化した情報が「3つ」と少ないからこそ、その情報を完璧にアウトプットしようとこだわることができる。この情報処理社会では、そのような完璧主義者が強者として主流派を形成している点を忘れてはならない。

 

 

突き詰めれば、HSPの人々は非HSPの完璧主義者と対等かそれ以上に渡り合うために、「大らかさ」によって「高度で鋭敏な感受性」をコントロールする必要があるのだ。「大らかさ」を養うことは、HSPの人々が抱えている問題を解決する手助けになるだろう。

 

 

それでは、「大らかさ」を養うにはどうすればいいだろうか。

 

 

(続く)