人を動かす言葉には厚みがある。その厚みは雑談や会話や活字の中に垣間見える。
言葉の厚みと聞いて、小首を傾げる人もいるかもしれない。活字は正面からしか読み取ることができず、シールに印刷して貼り付けることができるような平面的な記号に過ぎない。そう思う人も少なくないだろう。
近年、情報の羅列に終始した書籍が目につくようになった。本が売れない時代、編集者が売り上げを伸ばすため、苦心の跡が残るタイトルやリードが新書やハードカバーを中心に躍る。そのタイトルやリードにつられた人々が、その本を手に取り購入し、読書数にカウントする。
ひとまず私は最初の1ページに目を通してみるものの、平面的で無味乾燥な活字の羅列に辟易し、反射的に本を閉じて書棚に戻してしまうことが多い。
そこに記されている情報は確かに興味深いのだが、読めば読むほど乾いてしまう。乾いた喉を潤すために海水を飲むのと似たような感覚に抗いながら、有用な情報を得る作業として読みはするが、私はそれを「読書」数にはカウントしていない。
情報を得る作業としての読書と、人生観を深めるための読書を区別する。前者は文字通り情報や知識をアップデートするものであり、後者は著者の高い精神性に触れて心を整える時間と位置づけている
後者の読書習慣を持たない人間の世界観は乏しい。時間は有限である以上、経験も有限であり、経験によって広げられる世界の広さも有限となる。それを読書によって補うことで、自分の世界観を広げていく。それゆえに体験だけで物を語る人間の説得力は貧弱で、彼らはその貧弱さを補うために威圧的に感情を振りかざし、自らもその感情の起伏に傷ついていく。
彼らはその動揺をすぐに鎮めようとして、思いつく限りの目先の対処策に走り、疲弊し、そこから抜け出そうと別の対処策に走るという循環に陥る。豊かな人生観は、この「負の循環」を根本から排除するものだ。
もし、あなたが自分の運の悪さを嘆いているとしよう。あなたが取る選択肢は次の三つに限られる。
運が悪いことを無条件で受け入れて諦めながら生きていくか、運気を上げる方法を懸命に探すか、運について考え自分の人生観に取り込むか、その三つしかない。
あなたが三番目の方法に真善美のいずれかを見出すのであれば、色川武大の「うらおもて人生録」を一読することをお薦めする。言葉は正面ではなく、横から覗き込むもの。その厚みに感嘆するもの。その分厚い言葉の数々に覗く人生観の奥深さは、読み手の人生観に対する挑発のようにも思える。
運の良さは運の悪さでもある。理由のない運の良さ、すなわち僥倖に恵まれているときにすり減っているものがある。逆境が自分を鍛え、人生観を豊かにする豊饒な時間である以上、その対極にある僥倖は乏しい知性を耕す土壌となりやすい。
運を身ぐるみ剥いだ姿が自分自身であるという認識に立つことで世界の見方も変わる。幸運も不運も潮が退くように時間とともに干上がる。人間とは泥だらけの干潟のようなものだ。それを単に泥に塗れた見栄えの悪い場所として隠そうとするか、多様な生物たちが棲息する豊かな生態系を育む場所とするのか。
横から覗く言葉の厚みには、正面から読み取れる意味の数百倍以上の意味が含まれている。読書とは、筆者の人生観を包容したその厚みから、お裾分けを頂くことでもある。
(了)
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常識が崩壊する時代を乗り越える知見を養う大人塾・enza(エンザ)のトークセッション
【第1回】「社会人として尊敬される人に共通する条件とは何か」
【第2回】「社会人と親に必要なこれからの時代のインプット」
◯動画中に触れたお薦めの書籍◯
①夏目漱石「こころ」
〜40代に差しかかる頃に読み返したい不朽の名作〜
②ダニエル・キイス「アルジャーノンに花束を」
〜年代性別問わず全ての方にお薦めする人間の本質をあぶりだすSF作品の金字塔〜
③幸田文「きもの」
〜凛とした女性としての生き方を探している方にお薦めする名作〜
④重松清「流星ワゴン」
〜家庭と人生に行き詰まりを感じる30代男性にお薦めする一冊〜
⑤知念実希人「優しい死神の飼い方」
〜読書が苦手な高校生や大学生にお薦めする珠玉の一冊〜
⑥中上健次「岬」
〜幅広く小説を読む方にお薦めする重厚で圧倒的な純文学作品〜
⑦向田邦子「隣りの女」
〜特に20代以降の女性にお薦めする繊細な感性と優しさが溢れる短編集〜