To the mentors of the future

全世代の「教育力」を高める教育コーチのブログ

教育力の時代

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新型コロナウイルスの感染拡大は、私たちの生活様式を大きく変えつつある。

 


新型のウイルスが世界中で感染拡大しているという事実を単なる事実として終わりにするのか、蓄積した知見によって新しい認識にたどり着くのか、その認識で未来を予測するのか。

 

 

 

今ほど各人の「認識力」が試されているときはないかもしれない。

 



この先、常識が様変わりした時代から過去を振り返るとき、新型コロナウイルス感染拡大が契機だったと認識することになる。

 


しかし、そのときは既に世界の形は変わっているだろう。


 

今、世界中の多くの知性が、「形が変化した後の世界」での生き方を模索している。さまざまな分野の人々が知見を総動員して「コロナ後の世界」の姿に目を凝らしている。

 


この先、コロナウイルスに有効なワクチンが開発され、そのリスクがインフルエンザと同程度にまで低下したとしても、以前の世界の形に戻ることはない。

 


新型コロナウイルスが社会に及ぼす可塑性に気づいている人々は、すでに動き始めている。

 



現在進化形でもたらされるインパクトは従来の常識を変え、人々の行動様式を変えている。その現実が弾きだす答えはひとつ。

 


行動様式が変われば自ずと習慣も変わる。習慣が変われば意識も変わる。一旦変化した意識は元に戻ることはない。新型コロナウイルスはこの可塑性を持っている。

 



「誰も見たことのない時代」がコロナ後に始まるという認識を大袈裟だと感じる人は、刻一刻と変化する世界の形にまだ気づいていないのかもしれない。

 


「誰も見たことのない時代」に「誰もが知っている時代」の生き方や考え方が通用するのだろうか。

 


どんな生き方が通用するのだろうか。


 

どんな考え方が通用しなくなるのだろうか。

 


何が終わり、何が続いていくのだろうか。

 


社会が変化する。それは制度が変化することを意味する。制度の壁に守られてきたものは、制度の崩壊とともに野に放たれる。他人事という概念が薄れていく。

 


いかなる時代にも通用するものは何か。制度の庇護がなくても自分を守る方法は何か。

 


内から外から、不安と混沌の波が押し寄せる時代。家庭、学校、地域、企業。属することが不安と混沌を増幅させる場ではなく、安心と秩序をもたらす場とするために、それぞれの場において求められる大きな知性は「教育力」だ。

 



「誰も見たことのない時代」に求められる教育力とは、同調を教えることでも、従順を求めることでも、本質を外したやり方で瑣末な知識をひたすら覚えることでもない。

 



自分が思ってきた「教育」は、これからの時代の「教育」ではないのかもしれない。その認識の転換がまず求められている。

 

 

 

(了)