【質問】
「子どもの成長は予想できるものなのでしょうか」
【回答】
これは「はい」でもあり、「いいえ」でもあります。
以前、小学生の子どもを持つ父親に、次のような質問をされたことがありました。
「ベテランの教師になると、生徒が将来どんな人間になるかわかると聞きました。先生、うちの息子はこの先どうなりますか?」
質問者の質問よりもさらに踏み込んだ質問ですよね。私は敢えて言い淀んだ覚えがあります。
確かに、成長の過程を多く目にすると、ある程度は経験値によって予想できるようになります。人間の成長を「点」で捉えるだけではなく、「線」で捉えられるようになると、その確度は向上します。
経験値が増えるにつれて、今度は「線」から「面」に変わります。それまで出会ったことのないタイプの生徒に対しても、「面」を使って応用できるようになります。この域に達した教育者の方は深く頷いておられるのではないでしょうか。
私の場合は「面」の認識に加え、その後の環境的要因が最大値の場合と最小値の場合を考えます。環境的要因とは主に人間関係ですね。その生徒の資質を引き出すような友人関係や教師などにめぐまれるかどうか。
最も恵まれる場合を最大値、最も恵まれなかった場合を最小値として、10年後や20年後の未来を具体的に描き出します。
しかし、その予想に自信はありますが、確信はありません。ときどき予想の関数から大きく外れた特異点を踏む子どもがいるからです。
まるでサナギからアゲハチョウに完全変態するように、予想を超えた変化を見せます。仕事やスポーツでも「化ける」という表現が用いられることがありますよね。それと同じ変化です。
その変化は子どもに限りません。あるきっかけによって、いくつになっても「化ける」可能性を秘めています。
人間が畏怖すべき存在なのは、このような「成長の特異点」を持っているからです。予想はつくものの、最後までどうなるかわからない。人が成長する、人が育つというのは、単に小さい身体が大きくなるということではないのです。
子どもの成長は大人の小さな思い込みや予想をあっさりと裏切ります。子どもの頃に神童と呼ばれた人がくすぶっている例は珍しくありません。逆に、子どもの頃に大人から評価されなかった人が、素晴らしい功績を残すのも然り。
子育てが上手かどうかを判断する基準はただひとつ。それは「人間というものを理解しているかどうか」です。物事の解決の基本は、対象の理解です。子どもだけが例外には当たる理由はありません。
血がつながっているから、家族だから。それを例外の理由にするのは、子どもを一個の人間として扱っていない証拠です。それは人間を軽んじている証拠でもあります。
言いくるめればなんとかなる。煙に巻けば乗り切れる。心のどこかでそう思っていませんか。その姿勢では子どもの成長を見極めることはできません。人間を正しく畏れていないからです。
気づいたら、いつしか子どもが「知らない人間」になっていた。よく聞く話です。どの家庭にも起こり得ます。それを避けるためには、血の繋がりを過信せず、怒りに任せず、人間について謙虚に学ぶことをお勧めします。
後悔は失った時間と開いた心の距離を本当の意味で縮めてはくれません。
(了)
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