To the mentors of the future

全世代の「教育力」を高める教育コーチのブログ

自分自身を子どもに語るという自己肯定感

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今、自分がいる時間。未来、自分がいる時間。

 

 

未来が今よりずっと高いところにあるとすれば、今と未来をつなぐ線は坂道のような線になります。

 

 

自分は坂道の上に立っている。その坂を上るために自分を奮い立たせなければ、頑張らなければ。そうやって無理やり捻り出した気力は自己肯定感ではありません。坂道の下へと引っ張られる重力に抗うために踏ん張るような動的な力とは違います。

 

 

今と未来の二点を重ね合わせて一点にすると坂道は消えてなくなります。時間の中で暮らしているわたしたちにとってイメージは難しいかもしれませんが、今の積み重ねが未来であるということは、「今と未来は同時に起こっている」とも言えるでしょう。これはある意味で、「今も未来も同時に存在する」ということです。

 

 

サランラップの筒をイメージしてみてください。それをテーブルに置いて真上から見ると、細長い長方形に見えます。その両端を「今」と「未来」だと決めつけてみましょう。筒全体が「時間」に当たることがわかります。

 

 

みなさんが2ミリくらいの小人になって筒の上に乗っかり、「今」という端から「未来」という反対側の端に向かって歩くとします。このとき「時間」が感覚となるのは、未来に向けて進んでいるからなのです。

 

 

しかし、想像力を働かせて真上から「時間」を眺めると、それがサランラップの筒であるとわかります。アングル次第で「今」と「未来」は同時に見えます。さらに、その二点はサランラップの筒の両端であり、その筒の一部であることもわかります。

 

 

このようなアングルのスイッチは、物事の見方を変えるために欠かせません。「好き・嫌い」と「快・不快」の感情に揺らぎながら未来に向かって進んでいくと、時間という筒は怒りと結びつきやすいその四つの感情と感覚で満たされます。

 

 

怒りと自己肯定感は正反対の感情であるため、物事の見方を変えることなしに自己肯定感を高めることはとても難しいのです。

 

 

さて、それではもう一度サランラップの筒をイメージして、今度は真横から眺めてみてください。平面の円が見えるはずです。この円は「今」と「未来」が重なっている円だと言えませんか。

 

 

これもまた「今と未来は同時に存在する」ことをイメージする方法のひとつになるでしょう。

 

 

それでは、今、存在していることそのものが「肯定」だと言えないでしょうか。「否定」ならば存在していないからです。

 

 

「今、自分が存在している」こと。「親として存在している」こと。それらの自覚は感謝の気持ちと結びつきやすいのですが、自己肯定感はフラットを前提とする以上、感謝という気持ちも自己肯定感の姿をぼやけさせます。感謝と自己肯定感は親和性がありますが、自己肯定感によって感謝が生まれやすくなっているとしても、必ずしも感謝が自己肯定感を高めるわけではありません。

 

 

自己肯定感の「感」という文字が感情を思い起こさせるため、何かの感情を高めることが自己肯定感と結びつくものだ錯覚しやすくなっていますが、それは認識の問題です。

 

 

以前、ある作家が読者から寄せられた相談について回答していました。相談者は確か中学生か高校生の父親だったと記憶しています。その父親の学歴は中卒で、そのことをどうしても息子に打ち明けられず、どうしたらいいかという相談でした。

 

 

その作家の回答は「自分を語るしかない」というものでした。

 

 

出身・学歴・職歴。生まれてきたときから、人は何らかの属性の中で生きています。その属性も有名なものから無名なもの、大きなものから小さなものまでさまざまです。

 

 

有名で大きな属性を得ることによって、自己肯定感と錯覚した自尊心を抱く人もいます。しかし、属性に依存した自尊心は、属性が剥奪されてしまえばしおれます。かつての自分を忘れられず、過去にしがみついて生きることになってしまいます。

 

 

有名で大きな属性を奪い合い、手に入れ、その属性で人を動かす。そんな人々の姿を目にして育つと、中卒という属性に引け目を感じるのは無理もないかもしれません。

 

 

しかし、有名で大きな属性を得ても自己肯定感の低い人はたくさんいます。それを隠そうとして、大きな属性にすがろうとしている人も少なくありません。一方で、無名で小さい属性であっても自己肯定感が高く、属性を霞ませるような生き方を掲げている人は社会のあちこちに存在します。

 

 

フラットであるということ、「今、自分が存在している」こと。自己肯定感とは、属性と自分を切り離すことから始まります。ただ一個の人間として、親として、「ありのままの自分という物語」を凛と語れるかどうか。

 

 

属性を失っても、属性を切り離しても、「ありのままの自分という物語」を語れる揺るがない自己、親としての自己をどのように確立していくのか。

 

 

フラットな自分をフラットでないと決めつけているのは自分自身であること、「今の自分」は「未来の自分」であること、子どもは親の物語を待っているということ。

 

 

現実とは思えないことが次々と起こり、過去の経験や事例が通用しない時代での子育ては、「自分自身を子どもに語るという自己肯定感」が必要になるように思います。

 

 

(了)