To the mentors of the future

全世代の「教育力」を高める教育コーチのブログ

「自分に合った現実」を生きる

 

現実の対義語は理想です。心身の健康を保ちながら生きるためには、その二つのバランスの取りかたも大切です。

 


しかし、現実に対応するのが精一杯で、理想を描く余裕すらない人も多いことでしょう。

 


自分に合った理想を探すことができなければ、自分に合った現実には出会えません。「自分に合った理想」を「自分が本当にやりたいこと」に置き換えても、同じ結論を導くことができます。

 


わたしは人を洞察する仕事のため、少しだけ多くの視点を持っていますが、その中のひとつに「自分に合った現実にいるのかどうか」という視点があります。

 


たとえば、デザインの仕事に合っている人が舞台俳優をやっていたり、社交的で起業家に合っている人が刑務官を務めているとしたら、その人々は「自分に合っていない現実」にいます。

 


わかりやすくするために仕事を例に挙げましたが、これは人間関係や学校選びなどさまざまなところで見られます。その人の性格や境遇から導かれる現実と実際の現実に違和感を抱いてしまうのです。

 


コーチングの最中に「目標の見つけ方がわかりません」という相談をよく受けますが、実は「自分に合った現実」にいれば目標はすんなり見つかります。

 


しかし、「自分に合っていない現実」にいると、目標がなかなか見つかりません。見つけたとしても「大人の自分」が「目標を見つけなければならない」と命じた目標であるため、「子どもの自分」が納得していないのです。

 


成り行きでたどり着いた現実があり、そこで目標を見つけようとしている、または見つけたという感じなのです。理想があればもっとその人に合った現実にいることができたのにと思うことも少なくありません。

 


理想というのはあまりはっきりと言語化するものではないと思っています。それは「なりたい自分」になるための指標のようなものであるため、具体的に言葉にし過ぎると「自分に合わない現実」の方に向かってしまうからです。

 


自分に似合う服を探すのと自分に合った現実を探すのは同じです。鏡に自分の姿を映して客観的な目線で「似合っているかどうか」を判断するように、自分が選ぼうとしている現実は本当に似合っているのだろうかと自分に問いかけてみるといいかもしれません。

 


「どうすれば自然体でいられますか」という相談を受けることがありますが、それも「自分に合った現実にいるかどうか」という話にくくられます。

 


自分に合わない現実であっても、時間とともに慣れてしまいます。似合わない服もずっと着ている見慣れるように。そうすると、何が自分に合っていて、何が合わないのかという感覚も失せてしまいます。

 


内観によって生まれてからずっと自分の軌跡をたどるとき、過去の自分が「現在の自分の姿は本来の自然な姿だ」と思えるかどうか。

 


多くの人はそんなことを気にせずに慣れてしまった現実を歩いていますが、「自分に合わない現実」にいる違和感をずっと拭えずに生きている人もいます。そんな人にとってはなかなか気づきにくいことなので、少し書いてみました。

 


(了)