To the mentors of the future

全世代の「教育力」を高める教育コーチのブログ

ギフテッド・チャイルド

 

今年コミックス全世界累計発行部数が5億部を突破し、ギネスの世界記録も更新した「ONE PIECE」において、冥王レイリーがルフィに修行をつけるシーンがあります。

 


その冒頭、レイリーは「覇気」について「世界中にすべての人間に潜在する力であるにもかかわらず、大半の人間はその力に気づくことなく、引き出そうにも引き出せず一生を終える」とルフィに説明しています。

 


この「覇気」は「潜在能力」と読み替えることもできます。「潜在能力」は広義の意味では「ギフト」といえます。

 


近年、「ギフテッド教育」が脚光を浴びており、文部科学省は2023年度の予算案にギフテッド教育関連予算8000万円を計上して本腰を入れ始めています。

 


「ギフテッド教育」において、生まれつきの特別な才能やずば抜けた能力を持つ子どもは「ギフテッド・チャイルド」と呼ばれます。「ギフト」は「天性の才能、特別な能力」を意味するためですが、「ギフト=贈り物」という意味を純粋に捉えれば、生まれながらに持つ固有の資質や能力はすべてギフトと呼べるはずです。

 


「ギフテッド・チャイルド」という特別な枠組みを設けることによって、その他の子どもたちが「ノンギフテッド・チャイルド」という錯覚を保護者や教育者に抱かせることがないようにしなくてはならないと感じます。

 


「ギフト」はすべての子どもたちに内在する力であるにもかかわらず、大半の大人たちは我が子のその力に気づくことなく、引き出そうにも引き出せず、子どもは成長していきます。

 


大人とコーチングをしても、ギフトを活かしていると感じるのは一握りにも満たない気がします。ギフトという表現が腑に落ちないならば、適性と言い換えるとわかりやすいかもしれません。自分の適性に気づいていない人が、子どものギフトを探し出すのは至難の業です。

 


これは組織の管理職が部下の仕事を的確に評価したり、人事が新入社員を採用する場合も同様です。自分の「覇気」を扱えない人は、他人に覇気の強さも測れず、ましてその使い方を教えることはできません。

 


「明るさだけが取り柄」とか「体力を取ったら何も残らない」と謙遜を交えて自己や他者を評する人が一定数存在します。しかし、もはやその謙遜は美徳ではなく、ギフトの在処を覆い隠す無垢な呪文のようにも聞こえます。

 


(続く)