To the mentors of the future

全世代の「教育力」を高める教育コーチのブログ

反省と成長の関係

 

人は成長するために反省します。自分の行動を振り返り、軌道修正を行い、動機づけを行う。その一連の流れを反省と呼びます。それは自分自身に対する教育です。


しかし、本当の教育は「教える側」が「教わる側」の枠外にいなければ成立しません。生まれてからずっと部屋に閉じこもっている人に、外の世界は広いのだと教える。教え手は外の世界からやってきて、新しい世界の気づきを与えます。


反省は「教える側」と「教わる側」が同一人物です。そのため「新しい気づき」を得ることはできても、「新しい世界の気づき」を得ることが困難です。


「新しい世界の気づき」を得ることをフィードバックと呼びます。自分の知らない景色を知る人に、自分の行動を評価してもらい、具体的な修正方法を授かり、成長のための道筋を示してもらいます。


仕事は成長の近道と言われるのはフィードバックの機会の宝庫だからです。しかし、そのためにはフィードバックできる才覚を持った人物の存在が必要です。


近年、仕事を成長の場と捉えるようにと企業が躍起になっているのと反比例して、従業員の士気が低下しているように感じます。それはフィードバックできる人材の減少を示唆しているのかもしれません。


分析力と洞察力以上に、相手との信頼関係がフィードバックには求められます。人によっては、フィードバックは未熟さと至らなさを突きつけられる苦痛に変わります。信頼できない相手の言葉は、どんなに的確であっても受け入れてもらえません。


社会に溢れる成長の連呼にうんざりしている人も多いでしょう。成長などしなくても、楽しく暮らせればいい。その考えを誰も否定することはできません。


実際、社員をモノとみなす企業が収益を上げるために成長を焚き付けてきた事実もあります。そういうカラクリが知れ渡った今、成長に対して嫌悪感を持つ人々が増えるのは当然かもしれません。


しかしただひとつだけ、揺るがない事実があります。人間的成長を遂げた人は、そうでない人と違った景色を見ています。山の裾野の日差しの届かない鬱蒼とした景色が世界の全てだと思っている人もいれば、山の頂から水平線を見ている人もいます。灰色のコンクリートに囲まれた人もいれば、壮大な大海原を高台から眺めている人もいます。


成長とは場所を変えずに景色と世界を変える方法です。人間的成長から遠い人は、成長に懐疑的なだけでなく、疎ましさと嫌悪で成長を避け続けます。その結果、人を成長に導くフィードバックの力も身につきません。


成長させる側が人間的に成長しなくては、人を成長させることはできないのです。成長しても、成長させる側が見ている以上の光景を相手に見せることはできません。


最初は自分のためだった成長も、やがて段階が上がるにつれて、それは人のためだと気づきます。人間的成長を遂げた人が見える景色や世界のすばらしさを伝えることが本当の意味で人を育てることだと気づいたときの景色。


(了)