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全世代の「教育力」を高める教育コーチのブログ

エヴァンゲリオンと文学と人間力

 

かつてアニメも映画も漫画もなかった頃、人々は本によって新しい世界を知りました。中でも「人間とは何か」という暗黙の問いに小説という形で答えようとしたのが文学でした。

 


文学は人間を描いています。この世に生を受け、数十年後に去る人間という得体の知れない存在に、物語という方法によって向き合ってきました。

 


夏目漱石「こころ」・芥川龍之介「羅生門」・太宰治「人間失格」など、教科書に載っているような古典的文学作品はのちの文学だけでなく、音楽や映画や写真といった他の分野にも大きな影響を与えました。

 


それは現代のポップミュージックやロックミュージックが多かれ少なかれビートルズやローリングストーンズの遺伝子を受け継いで発展してきたことに似ています。

 


エヴァンゲリオン・攻殻機動隊・進撃の巨人といった「人間」を描くアニメにも、文学の遺伝子は直接的または間接的に受け継がれています。冒頭の三つの作品を読んだことがある人の中には、エヴァンゲリオンや進撃の巨人が作品を通して発するメタメッセージの中に共通点を感じ取る人もいるかもしれません。

 


「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」のラストシーンで、少佐が笑い男に問いかけ、笑い男がそれに答えるという場面があります。「人間」に対する文学的な洞察がなければあの会話のシーンを理解するのは難しいでしょう。

 


活字だけの本はかなりの想像力を消費します。自分の頭の中でビジュアルを創造するという行為は体力を使います。しかも、映画やアニメや漫画の視覚情報は才能豊かなクリエーターの方々によって生み出されるアートですから、個人の想像力よりも遥かに刺激的で洗練されています。古典的文学作品が足元に及ばないエンターテイメントに溢れています。

 


しかし、「人間」の奥深さを描いた文学作品は自分の精神性を測るものさしになります。夏目漱石「こころ」に対する理解度は、そのまま人間的な成熟度と比例します。「こころ」がわかる人間とわからない人間とでは、精神的な成熟度に大きな開きがあります。

 


「こころ」が何を伝えようとしているのかわからないのであれば、人間として経験や知識が思索のいずれかが不足しています。

 


学生のときに「こころ」を読んでもさっぱり意味がわからなかったが、大人になって読み返してみたら面白い。そんな話をときどき耳にしますが、その人が人間的に成長を遂げた証であると言えます。

 


今はビジネスにおいて「人間力」がパワーワードとして扱われています。文学作品は自分の人間力がどの程度であるのかを教えてくれます。

 


(了)