「親は子どものメンターである」と意識するだけで、子育ての見え方が少し変わります。
メンターは「変化のきっかけを与える人」ともいえるでしょう。子育てのハードルが一気が上がった原因に、核家族化の進行と地域の活力低下という近代的要因と、母親が家事と子育てを引き受けるべきという旧態依然とした風潮が共存していることが挙げられます。
核家族化は母子密着や閉じた家族主義の温床となり、ハンドルを切り損なうと、子どもを親の価値観で固定化する道へと進んでいきます。
親子といえども、別々の人間。相性は歴然として存在します。子どもが「親と合う」のであれば、親の価値観をひたすら注いでも子どもは受け止めることができます。しかし、親と合わない場合はそうはいかず、親が示した道の上で子どもは迷子になってしまいます。
親が「自分の価値観を子どもに教えこむ教師」から、「変化のきっかけを与えるメンター」に役割をシフトすることによって、このリスクを回避できます。
この世界にはさまざまな価値観やものの見方があります。ひとりの人間の価値観はその中のたったひとつに過ぎません。親の解答を正解だと教えることで、幼少期は親の権威や威厳をつことができますが、やがて子どもの自我は親の言動を精査するようになるでしょう。
もちろん、親も人間。しかし、それを親の側から口にして、子どもに「人に寛容であれ」と暗に命じるのではなく、そのことに気づくような人間性を持てるきっかけを探した方がうまくいきます。また、親が認識できない子どもの姿を知るきっかにもなります。
つまり、親が自分や家族以外の人と積極的に関わりを持つきっかけを与えることです。その関わる相手の選定は、親の見識によります。メンターとしての親の力量が最も問われる場面といえるでしょう。
関わりの経験を通じて、子どもは「この世界にはさまざまな価値観と考え方がある」ことを知ります。それは子どもの人間に対する洞察力と寛容性を競うように育み、幼少期の頃は絶対的だった親という存在を、相対的な存在へと再構築します。
寛容性は「相対的な親」をありのまま受け入れる器を育みます。
(了)