先日、厚生労働省が人口動態統計を公表した。それによると2024年の1月から6月までの上半期の出生数は、およそ33万人だった。このペースで下半期も推移すれば、初めて出生数が70万人を割ることになる。
それが現実となった場合、出生数が初めて100万人を割ったのは2016年のことだから、わずか8年で30万人も減少することとなる。その子どもたちが小学2年生に進級する際には、現在の小学2年生の30%の生徒数になる。
そのときの出生率を正確に予測できる人はどれだけいるのだろうか。2022年に出生数が初めて80万人を割ったが、その数字は想定の2033年よりも11年早く訪れた。少子化の問題は時代の混迷度に比例しているようだ。時代が混迷を深めるあまり、その反動として正常性バイアスが機能し過ぎ、不安に対する痛覚が鈍くなっているようですらある。
かつて「なるようになる」という口癖はポジティブな作法の言語化だった。安定した時代では、制度や構造の中で懸命に流されているだけあっても、成長や飛躍の機会に恵まれた。むしろそれで良かった。
しかし、これだけ不安定で先行きが見通せない時代になると、流されようにも流れすら読めない。歪な構造は不規則な流れを作り、渦を生み出す。「なるようになる」と流れに身を任せているうちに、次第に渦に引き寄せられ、気づけば渦の中で上下左右もわからぬまま、窒息寸前で生きている。
これまで大きな目標を立て、それに向かって進むように教えられてきたのは、人間的成長を促すためであった。しかし今は、渦に飲み込まれないための目印と目標を立てる時代となっている。余裕を生むための目標ではなく、生きづらさを回避する自己防衛のための目標。
混迷の時代では、目先の小さな目標を繋ぐのではなく、渦を乗り越える大きな目標設定が必要となる。今に集中するという言説は、大きな目標設定を前提としている。そして大きな目標設定という作法は、小さな自分自身と向き合う作法から始まるように思える。
(続く)