大きな目標に向かって努力する。一見非の打ち所がないように思われるそのテーゼは、ときに自分を追い詰め、自分を壊しかねない。誰かと比べ、誰かと競うための目標であればなおさらだ。
しかし、それが自分の理想であっても同じ結果を招く。理想の自分は強すぎて、本来の自分から自分自身を引き剥がす力を持っている。それに気づいた人々が、そのアンチテーゼとして「頑張らないこと」を新しい美徳として掲げ、その共感が広まるのは自然なことなのかもしれない。
ある種の人々の認識フィルターは「頑張らないこと」を「怠惰でいること」として変換する。それに対する反発も手伝って、「大きな目標に向かって努力する」ことに邁進する。たとえ自分の心身が悲鳴を上げても、それは大きな目標に向かって努力していることの証であると考え始める。いつしか、混迷の日常の中で本来の目標を見失い、努力という手段が目的化していく。心の声に耳を傾けずに我を忘れて頑張っている自分を自己承認の対象としていく。
直感が嫌だということはしない。混迷の時代の現実は嵐の甲板のようなもの。立っていることすらままならない現実の中では、自分の感情を守ることを最優先にする。何かを成し遂げようと考える前に、自分自身と向き合い、その子が嫌だと思うことはしない。そうやって余裕を生み出す。そのための努力は惜しまない。
(続く)