混迷の時代とは不確定要素が限りなく増加する時代とも言い換えられる。真善美以外の経験則が通用しにくくなり、日常を快適に過ごすための自分に合ったライフハックを探すことに執着する。「人生を考える」よりも「人生を生きる」ことが目的にすり替わる。その「生きる」は「快適に生きる」ことであり、それは「不安なく生きる」ことの影絵となる。
不確定要素に比例して不安は増える。しかも、従来の経験則が通用しないという新しい不安と、人生そのものに内在する生きる不安も重なる。その「三重の不安」を前に、「考えない」という方法で身を守ろうという選択肢が覗く。そこには「考える」と「悩む」の混同が垣間見える。
「悩む」は解決や創造を目的としない。苦しむという感情に浸り、心身が摩耗するまで円環のような時間を懸命に生き続ける。本人は懸命であるがゆえに努力と錯覚する。しかし、解決と創造を目的とする「考える」と異なり、報われることはない。慰めと共感に救われながら、自己肯定感と時間を削り、それを焼べながら「人生を生きる」ことになる。
悩みは別の悩みを生み出す。まるで生き物のように新たな悩みを増殖させ、「生きる」というシンプルな営みを複雑にして、混迷の時代に必要な思考を奪う。やがて、生きることが悩むことに乗っ取られ、人生は重く苦しく、絡み合って解れない釣り糸のようになる。
自分を大切にするために、人生を考える。どうすれば自分を大切にできるのか。自分を大切にできないから悩む。自分を大切にするための創造を惜しまない人は、混迷という現象に惑わされることなく、どんな課題も解決策を生み出せる。本当の意味で自分を大切にすることに気づくことができれば、不確定要素の大半は日が昇る朝靄のように霧散する。
(続く)