教える仕事をしていると、ときどき意表を突かれるような質問をされることがある。意識とは何ですか。とある小学生の質問によって、私の中にある複数の引き出しが同時に開いた。その質問への対応次第によって、その生徒の知的好奇心の質量が決まる。そんな緊張が走った。
宇宙の果てと同じように、それは現代科学で解明されていない最大の謎。その回答は正確であっても、正解とは限らない。少なくとも、小学生でそうした質問をしてくる生徒に対する回答としては、不正解なのかもしれない。
その生徒は期待している。それは正解に対する期待というよりは、恐らく無意識で、私がその未知で不可知とさえ思えることにどのような解釈を与えるかを試している。さらに言えば、その解釈の結果よりも、その姿勢を見ている。
私がその質問に対して誠実な解釈を与えれば、その生徒は安心するのだろう。未知の扉を開くきっかけに知的好奇心を他人にも使っていいのだと。知的好奇心に基づいた質問は今の自分を成長させる最も有効な手段だと。何より、質問という自己開示によって、相手を間接的に自己開示させることができる。そこから得られる学びは、相手の経験から抽象化された普遍性を持っていることもある。
時代に風化しない普遍的な知識は不透明な時代を生きる上では欠かせない。むしろ、その知識をどれだけ集めることができるか。それが鍵を握る。一人の人間の体験は限られている。そのためには他人の経験を借りる。そのきっかけの一つが双方向の自己開示としての質問であるのかもしれない。
(了)