子どもは花。
花は大人を勇気づける。花の笑顔は立ち向かう力を与えてくれる。日常の中に咲く花が、萎れた心を潤す。
試練は大人から心の余裕を奪い取る。言葉から彩りが失せる。寒々とした無彩色の社会に、子どもたちは閉じ込められていく。大人の不安と苛立ちを浴びながら育っていく。
子どもは花。
いつも陽光にあふれた言葉を求めている。励まし、照らし、磨いてくれる言葉を探している。感動させて欲しいと願っている。伝わらない気持ちをしまいこみ、花が咲いているふりをして萎れた心を隠している。
今、子どもの声は聞こえない。大人は花を咲かせる余裕がない。本当は花の咲かせ方を知らないのかもしれない。
子どもは花。
造花でも観賞用でもない。花は咲きたいように咲く。大人たちが思いが描いたような世界は訪れないと知った。花は咲きたいように咲くことを選ぶだろう。
勝手に咲く花、咲かない花。大人の都合で咲かせるには、大人は言葉の力を失った。枯れた言葉に子どもは振り向かない。大人に振り回され、健気に咲いた花びらが散っていく。
子どもは花。
花が咲き誇らない社会は枯れていく。花びらの大きさや形や色を覚えたまま大人になる。花の咲かせ方を知らない大人が増えていく。
大人も花。
自分を育て直すように、自分の花を咲かせてみる。花は言葉で咲く。明日を照らす力強い陽光、瑞々しい新緑の感性と情緒、経験という豊穣な大地から生まれた言葉で花を咲かせ直してみる。枯れるにはまだ早い。
子どもはそのとき生まれる言葉に振り向く。そのとき生まれる言葉の匂いを嗅ぎ取る力を持っている。その言葉で美しい花を咲かせていく。
(了)