時を加速させる(1)〜4つの視点〜

授業とは、ある意味「時を加速させる」特殊な時空間と言えるかもしれない。

 

 

その時空間で、先生と生徒という関係性に基づき、生徒が先生から学ぶ。その関係が成立しなければ、授業とは呼べない。

 

 

学ぶとは「知らないことを知る」ことだ。先生と生徒という関係性が健全に成立している授業では、生徒は積極的に新しいことを知ろうとする。

 

 

知ることで「知らなかった自分」が「知った自分」に変わる。その変化こそ「成長」である。成長は時間を必要とするが、学びは時間を加速させる力がある。積極的に何かを学ぶ1時間と、漫然と過ごす1時間では時間の密度が異なる。前者の時間を過ごした子どもは、後者の子どもよりも「成長」している。

 

 

これが1時間ではなく、1000時間だとしたらどうだろう。実年齢を刻む実時間とは別の「内面的時間」に大きな開きが現れる。

 

 

時に学びは濃密な時間と表現される。前述の流れを汲むとするなら、それは「学んでいる内面的時間は実時間より早く進む」ということになる。懸命に学んだ1年であっても、そうではなかった1年であっても、実時間は1年の加算となるに過ぎない。だが、内面的時間を考えるならば、前者は3年の時間が加算され、後者は0年の加算ということもあり得る。

 

 

多少突飛な話だと思われるかもしれない。しかし、そういう認識も可能ではある。授業という時空間が機能していれば、子どもたちの内面的時間を加速させる学びを生み出すことができる。

 

 

私が授業を行う場合、「勉強」を次の4つの視点から切り出し、それを状況に応じて再構築して、その時の生徒に適した伝え方を試みる。

 

  • ストラテジック(strategic)な視点
  • アカデミック(academic)な視点
  • プラクティカル(practical)な視点
  • 哲学的(philosophical)な視点

 

成績を上げる。受験に合格する力を身につけさせる。確かにそれらは授業に求められる目的であり結果である。しかし、そこまでの「道程」には「時を加速させる」工夫の余地がふんだんに残されている。

 

 

生徒をただ目的地まで連れて行くだけでいいのか。連れて行った後のことを考えながら連れて行くのか。授業における目的地は、実人生においてはスタートに他ならない。それをゴールと錯覚させてしまうのは「道程」に工夫が施されていないからだろう。

 

 

次週は4つの視点をひとつずつ取り上げ、実際の授業においてどのように反映させているかについて書きたい。

 

 

(続く)