To the mentors of the future

全世代の「教育力」を高める教育コーチのブログ

特別な色鉛筆

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「嚢中の錐」という諺がある。

 

 

袋の中に入れた錐の先が外に突き出るように、すぐれた才能を持つ人は、凡人の中に混じっていても自然とその才能が際立つことをいう。

 

 

これと同じように、すぐれた情感を持つ人も、多くの人の中で自然とその情感が外に現れて目立つ。

 

 

情感は共感を生み出す。近年の経営学は、組織運営において共感が問題を防ぎ、解決するプロセスを実証する。共感は人間関係を円滑に運び、相互理解を深める。いかなるコミュニティにおいても人が全てである以上、共感の資質は輝く。

 

 

共感は論理でも、理屈でもない。ゆえに教えることができず、「嚢中の錐」と同じ「情感の才能」にくくられる。統計学的な論理とエビデンスとデータが主導権を握る時代において、バランサーとしての「情感の才能」が果たす役割は大きい。

 

 

論理やデータは黒い鉛筆一本でこと足りる説明の羅列である。しかし、情感は色鉛筆の濃淡と数によって描写される色彩だ。濃淡は感情の筆圧によって生まれる。では色鉛筆の数はどうだろうか。

 

 

情にほだされる。情が深い。情に棹差す。

 

 

昔、日本人が好んで用いた美しい日本語には、情を含む言葉が少なくなかった。普段の会話の中でふんだんに盛り込まれ、潤いと彩りを人々に与えた。そうした環境の中で、情感が磨かれ、一本また一本と色鉛筆の数が増えた。

 

 

喜怒哀楽の4種類の色鉛筆の濃淡で描かれた情感は単調で刺々しい。感情の起伏の激しさは色味の濃さ。喜怒哀楽が黄色・赤色・青色・緑色の色鉛筆だとするならば、烈火のような怒りは濃い赤で、苛立ちは薄い赤で情感を塗る。

 

 

いつしか単色の色鉛筆の濃淡で情感を一方的に表すことが普通になった。濃い赤、薄い赤、濃い黄色、薄い黄色、濃い青、薄い青、濃い緑、薄い緑。数少ない限られたパターンの組み合わせで、自分の情景を描く。

 

 

黄色の単色ひとつで喜びを描いた情景と、ジンクイエロー・カドミウムイエローレモン・ライトクロームイエロー・レモン・カナリアイエロー・オレンジイエローを組み合わせた情景とでは、表現力が違う。ライトクロームイエローは黄色に共感できるが、黄色はライトクロームイエローに共感できない。

 

 

相手はもしかしたら、あなたが持っていない色鉛筆を握りしめているかもしれない。カナリアイエローで描いた景色も、ジンクイエローで描いた景色も、同じ黄色だと決めつけているとしたら、相手はあなたから少しずつ離れていく。

 

 

人はもしかしたら、自分が持っていない色鉛筆で情感を伝えているのかもしれない。自分はもしかしたら、まだまだ色鉛筆の数が足りないのかもしれない。

 

 

そのような謙虚さを持たないと、手に入れらない色鉛筆がある。すぐれた情感は、その特別な色鉛筆によって描かれる。

 

 

(了)