間もなく平成という時代に幕が降りる。
私が高校を卒業し、実家を離れた翌年の一月に昭和から平成へと時代は移った。
昭和天皇の崩御により世が喪に服した一週間、テレビから日常は消えた。時間を持て余していた私は、書店で村上龍の「69 sixty nine」を何気なく手に取った。
作者である村上龍の高校時代の1969年を舞台にしたその自伝的小説を、自分が生誕した年であるという奇妙な共時性に時おり揺さぶられながら、夢中になって読んだことを思い出す。
当時の小渕官房長官が掲げた「平成」の文字に、傍で一緒にテレビを観ていた親友が、「ずいぶん不安定な語感だな」と呟いた。全く同じ印象を受けた私も即座に頷いた。結局、平成が残り一日と迫った今に至るまで、その違和感は消えることがなかった。
今月一日、菅官房長官が掲げた「令和」の響きに安堵にも似た感情がこみ上げたのは、そのせいかもしれない。
言葉の語感は意味より先に直感を刺激する。私は「令和」という言葉を耳にした瞬間、「昭和」を彷彿とさせるその語感に、敗戦からの復興を遂げ右肩上がりの未来を疑わなかった昭和時代への回帰への願望が匂った。
同時に、「れい」が数字に置き換えられた「0」と「和」から、人々が和をなしてゼロから再び新しい時代を築き上げるというシグナルにも聞こえた。
それほど平成は破壊的な変化の時代だった。
天変地異や歴史的事件が畳み掛けるように相次いだ。デジタル革命とも呼ばれる第三次産業革命は平成の時間を待ち構えていたかのように始まり、心構えの時間すら与えず、社会と生活を変えていった。
ゲノム解析や幹細胞研究の発展、ブロックチェーンの発明と導入、LHCの完成、量子コンピュータの開発、IoTデバイスやSNS急速な普及、AIの進化。それは科学、医療、経済、工学といった文化を形成するすべての分野に波及し、人々を「工学化」に導いた。
当初は物珍しさと刺激と便利さに浮かれて笑っていた人々の中にも、手放しで喜べることばかりではないと気づく人が増え始めた。生活様式に入り込んだ「工学化」が、人間の考え方や言動にも支配的な影響を与えていると認識した人々は、それぞれの解決策を模索し始めた。
工学化した世界では、「慣れて使いこなす」ことができれば生活は円滑に進む。それ以上に何かを掘り下げて考える必要もない。先回りした便利さは、過保護な親のように、人々から思考力を奪う。それに抗おうとする人間と、その流れに乗ろうとする人間の価値は対立する。
令和のいつの日か、ゲノム解析技術の発展によって、生まれたばかりの子どもの未来が「判明」するだろう。子どもの性格や知能や運動能力や社会的適合性が診断され、ありうる未来を具体的に知ることができる。令和時代の子どもたちが親になるころ、現在の新型出生前診断と同じような「選択の苦悩」を強いられるかもしれない。
令和時代に活躍する人は、「論理的に『正解』を発見できる」以上の力が求められる気がしている。「感覚的に最初から『正解』がわかっている人」が、工学化の海に溺れずに生き抜いていけるのではないかとも思う。
令和時代において「最初から『正解』がわかっている人」は、平成時代のように黙々と自分の役割を果たしていくのか、それとも「抗う」のか。抗うとすれば、どのように抗うのか。工学化に傾いたシーソーを水平にしようとするのか。それとも、工学化の海に沈まないシェルターのようなコミュニティを作り、自分とそこに関わる人々を守っていくのか。
工学化の時代は、SNSやネットを通じて誰しも合理的な思考を気軽に手に入れることができる。他者を論破する情報や雛形が溢れている。そうした感情や行動様式の工学化が進めば進むほど、心は乾き、創造力も枯渇する。
人々が工学化すればするほど、AIの台頭も手伝って、人の論理的思考力と演算力はデフレを起こす。演算の速さや知識量を競ったところで進化を遂げたデバイスには到底敵わない。
そのような時代に価値を帯びるのは「感性」に他ならない。真善美を瞬時に見抜く感性を磨き、鍛える。感覚的に、直感的に「正解」が閃く。その答え合わせのために学び、経験を積む。進みながらも回帰する。
平成時代にある程度通用した「ひからびた感性に包まれた合理的思考と情報処理力」は、何かの出来事をきっかけに暴落を起こすかもしれない。
令和時代は、優れた感性の子どもたちや持ち主が伸び伸びとその力を発揮できる時代であって欲しいと願う。
(了)